より良い音響空間を生みだすためのCAE踊る解析最前線(5)(2/2 ページ)

» 2011年02月22日 11時06分 公開
[柳井完司MONOist]
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 最近、小学校で採用されることが多いオープンプラン型の教室における対応もその1つである。これは教室に隣接したオープンスペースを設け、教室とオープンスペース間を開放することで、チームティーチングや少人数学習など新しい学習スタイルへ柔軟に対応しようという設計だ。しかし、逆にこのオープンスペースを介して、ある教室の騒音が別の教室に伝搬してしまうという騒音伝搬の問題が発生していた。

 「このようなオープンプラン型教室の騒音伝搬の問題を、建築計画段階の工夫で解決できないかというのが、私たちの取り組みでした。具体的に言えば、こちらのクラスの活動音が隣のクラスの授業に影響しないようにしたいわけですね。そのため、教室間の音の伝搬を低減するような教室の配置、吸音材など建材の選択や仕上げ方などを、波動音響シミュレーションの手法を用いて検討しました。この結果は実際にある小学校の設計に応用されました」(坂本氏)。

 一方、よりスケールの大きな取り組みとして、静穏な都市の音環境を実現するための騒音対策に関わる研究も行っている。騒音対策では、都市部特有の騒音を適切に制御する必要があるが、そのためにはまず、その騒音の発生と伝搬の仕組みを正確に把握しなければならない。そこで、こうした環境騒音の伝搬予測法の確立が求められているのだ。

 ちなみに都市部の主要な騒音源はクルマであり、影響も最も広範囲に渡っている。そこで坂本氏らはこの道路交通騒音を中心に、自動車騒音の伝搬予測手法を研究している。

 「こうした環境騒音の評価において、一番ポイントとなるのは騒音レベルのエネルギー平均値を出していくことです。しかし、構造物が輻輳(ふくそう)した都市圏では騒音伝搬も複雑なものとなり、従来のエネルギーベースの計算方法が適用できない場合も出てきます。そこで建築物の例と同じように波動数値解析の手法を検討しています。この場合もやはり、対象規模が大きくなると計算が非常に大掛かりになってしまうため、主要な断面だけモデル化するなどの対応が必要になります」(坂本氏)。

建築設計者が持つべき“音の伝搬を良くしたい”という意識

 このような坂本氏の研究テーマは、同氏が大学院生時代からほぼ一貫して変わらず、同氏にとってはすでに20年来の取り組みということになる。近年は計算機技術の進歩とともに研究は著しく進み、かつて予測困難だった反射や回折(かいせつ)が繰り返されるような複雑な音響伝搬の様子も、高い精度で予測できるようになった。

 現在では物理数学理論的研究としては、主として前述の都市部の騒音問題のような屋外の音響伝搬解析(いわゆる開空間問題)の高精度な解析を可能とするための「完全無反射境界」の実現や、差分スキームの高精度化、あるいはより高精度な解析を行ううえで重要かつ適切な境界条件の実現などについて研究を進めている。

 坂本氏としては、こうした蓄積の成果を生かしてより精確で使いやすい音響伝搬予測手法を仕上げ、意匠設計者が日々の建築設計作業で、これをよりストレスなく活用できるようにしていきたいと考えている。しかし、それには、研究の進展はもちろん、建築設計者たち自身の意識もまた、少しずつ変えていく必要があるようだ。

 「実際には、普建(普通建設)の設計者が音響伝搬を意識することはほとんどないでしょう。もちろんコンサートホールなど、音響設計がポイントとなる建築物を扱う大手ゼネコンなどの設計室には音響の専門家もいますし、ちゃんとシミュレーションを行って音響設計をしていますが、普通の設計者ではなかなかそこまで手が回りません。前述のとおり音の伝搬は目に見えないし、伝搬の仕方など分からないというのが一般的なのです。消費者にしても、部屋を探すときに部屋の壁紙のデザインの美しさには着目しても、壁厚や壁構造のことまでは意識しませんから、無理もないのですが。しかし、音の問題は設計段階でこそ考えておくべきケースが多いのです。だからこそ、設計者にはもっと音環境ということを意識するようになってほしいのです」(坂本氏)。

 そういって坂本氏が例に挙げたのが、集合住宅における音の問題だ。例えば集合住宅において上階の家の子どもの足音が響く――といった床衝撃音問題は、建築業界でも非常に重要視されている生活環境問題である。床の問題に限らず、壁にしても設備にしても、いざ実際に住人たちが入居して生活が始まると、その住民たちから最も多くクレームが寄せられるのが、音の問題なのである。

photo 建築設計者に、もっと音響工学に興味を持ってほしい

 「実際、集合住宅においてはこの騒音問題に関連して多くのトラブルが発生しますが、対処しようにも、建物が出来上がってしまってからではできることは限られ、効果的な対策はほとんど取れないのが現実です」(坂本氏)。

 例えばこうしたクレームで大多数を占めるのは「上階の床衝撃音への対応」だが、これに関しても、軽いものを落とした程度の「軽量床衝撃音」なら制御するのは難しくないが、子どもの飛び跳ねや大人の歩行音といった「重量床衝撃音」を制御するには、床に表面材を追加する程度ではまったく足りない。これをきちんとコントロールするには、床スラブ自体の厚さを増すなど構造体のレベルで考え、対応することが必要となるのである。

 まさに建物ができ上がってしまってからではコントロールできない問題なのである。だからこそ、音の問題については設計段階からきちんと意識し、検討しておくべきなのである。

 「それでも近年、住宅性能表示制度などの良い影響で建築設計者にも、さらには消費者にも少しずつ音に対する意識が高まりつつある、といえるでしょう。できればそこからさらに一歩進んで、問題が顕在化する前段階、すなわち建築設計の初期段階で“音の問題を未然に防ぐ”と意識してくれれば、さらにうれしいですね。それをお手伝いするための技術支援は、いまやいろいろな形で提供できるようになっていますし、ぜひ興味を持って私たちに声を掛けていただければ、と思います」(坂本氏)。

Profile

柳井 完司(やない かんじ)

1958年生まれ。コピーライター、ライター。建築・製造系のCAD、CG関連の記事を中心に執筆する(雑誌『建築知識』『My home+』(ともにエクスナレッジ社)など)。



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