「マラソンにもスリップストリームがある」「イアン・ソープ選手とスッポンの泳ぎ方は同じだった」――スポーツ科学からみた流体力学の世界とは。
冬は駅伝シーズン。そしてこの寒い時期には、学校でも持久走大会がよく行われる。しかし、「マラソン(長距離走)が苦手」という方も世の中には少なくないのではないだろうか。
マラソンで速いタイムを刻むための理論を科学的に解析した先生がいる。元防衛大学校の講師で、現在は 工学院大学 工学部機械工学科 教授の伊藤慎一郎氏だ。マラソンのほかにも、水泳やサッカーなど、さまざまなスポーツを科学的に分析する研究をしている。同氏の専門は、スポーツ流体力学。いわば、“スポーツを上手にこなすためのコツをなんでも流体解析”してしまうことだ。
今回はスポーツの世界における流体解析の事例の紹介と、流体力学の基本についても紹介する。
そしてこの記事で紹介した理論を使えばマラソンや水泳の大会で活躍できる……かどうかは保証できないが、ひとまず試してみたくなるだろう。苦手な人も、少しは前向きになれるだろうか。
今日のフルマラソン競技会では、ペースメーカーと呼ぶ人をランナーの周囲に配置する様子がよく見られる。混雑によるアクシデントを防止する、あるいはランナーの走るペースを調整し正確なラップタイムを刻ませるためだ。このペースメーカーは“単なるペース調整”の効果だけにとどまらず、流体力学的観点においてランナーの走行に有利なフォーメーションがあることを伊藤氏は発見した。
カーレースの解説でよく登場するスリップストリームは、果たして、レースカーほどの速度で走っていない人でも起こるのか。そんな着眼点から始まった研究だ。
スリップストリーム:(カーレースの場合)高速で走る車両の背後は、空気が押しのけられていることで抵抗(気圧)が落ちており、その背後に別の車両が近づくと吸い寄せられる。吸い寄せられた車両は、燃費や加速面で有利になる。カーレースではこの現象をうまく利用して先を走る車両を追い抜くことがある。
以下は、ランナーを模したフィギュア(全長134mm)を使った風洞実験の画像、実験で得られたCD値(抗力の係数)を示したものだ(CD値が低いほど、ランナーが受ける風の抵抗が少ない。楽に走れる)。
一番有利なポジションは、横並びになった3人のペースメーカーの後ろを走るフォーメーションだ。1人で走った場合はCD値が0.97だったのに対し、最小となるフォーメーションのCD値は0.07と劇的に抗力が低減している。単にペースメーカーの後ろを走るだけでも、単独走の3分の1程度までCD値は減少する。よって、もくろんだ通り、スリップストリームが発生していることが分かった。
また流体解析ソフトの「ANSYS FLUENT」による解析結果は、実験値とほぼ一致した。実験のCD値が0.07だったのに対し、解析結果のCD値は0.11だった。また解析結果でも、実験と同様の現象が見られた。
インレット(Velocity inlet):5.409615 m/s
アウトレット:Pressure outlet
ソルバー:Segregated-Steady
乱流モデル:Realizable K-epsilons with Enhanced Wall Treatment
圧力 - 速度のカップリング: Simple
離散化の設定
圧力:PRESTO(PREssure Staggering Option)
運動量:二次風上
乱流運動エネルギー:二次風上
乱流散逸率:二次風上
併せて、抗力が軽減されたことによる体力消耗量の変化も解析した。以下の図で、赤い文字の行(Quartet #1:4人組 その1)のデータが、最小抗力における結果となる。
上の図は、抗力が低減したことで、単独走と比較してどれくらいのカロリーを温存し、そのエネルギーで何m走ることができるか示したデータだ。このデータ上から読み取ると、最小抗力の4人組フォーメーションでは、「232.4秒走れるカロリー」を温存し、かつそれを距離に換算すると1307.8m分に相当することになる。温存したエネルギーの分で加速すれば、タイムはぐっと縮まる。
ちなみに世界選手権やオリンピックのフルマラソン競技ではペースメーカーは禁止となっている。
ペースメーカーを配置できない場合では、別のランナーの背後につくようにして空気抵抗を減らして走ると体力的に有利ということになる。例えば、レースでダンゴ状になったとき、前述のフォーメーションの効果をうまく利用し、しばらく体力を温存しながら走った後、ライバルを一気に追い抜く作戦が考えられる。ただし、近づき過ぎて接触し、トラブルにならないようにしなければならない。
このような作戦は「ドラフティング」と呼ばれるが、例えばトライアスロンのバイク競技では、選手の事故防止や安全確保の観点から禁止されている。
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