「解けなかった解析」を量子で突破できるか 三菱電機が挑む「量子CAE」メカ設計インタビュー(2/4 ページ)

» 2026年09月17日 08時00分 公開
[八木沢篤MONOist]

大規模行列を効率的に入力する「ブロックエンコーディング」

 今回開発した2つの基盤アルゴリズムは、量子計算の「入力」と「計算」にそれぞれ対応する。1つ目の「入力」は、大規模な行列データを量子コンピュータで扱いやすい形に整理するもの、2つ目の「計算」は、量子回路の設計に必要な角度パラメーターを安定的に求めるものだ。

量子特異値変換(量子信号処理)の量子回路と、今回の2つの開発課題。課題1は問題行列の効率的な入力、課題2は角度パラメーターの高精度な算出 量子特異値変換(量子信号処理)の量子回路と、今回の2つの開発課題。課題1は問題行列の効率的な入力、課題2は角度パラメーターの高精度な算出[クリックで拡大] 出所:三菱電機

 まず、1つ目の開発成果で鍵となるのが「ブロックエンコーディング」だ。一般的な行列を、量子回路で扱えるユニタリ行列の一部として埋め込む手法で、量子特異値変換(QSVT:Quantum Singular Value Transformation)を含む現代的な量子アルゴリズムの入力モデルとして広く採用されている。

ブロックエンコーディングの概念。一般の行列をユニタリ行列の一部として埋め込み、量子回路に入力する。性能には、埋め込みにかかる回路コストと正規化係数が影響する ブロックエンコーディングの概念。一般の行列をユニタリ行列の一部として埋め込み、量子回路に入力する。性能には、埋め込みにかかる回路コストと正規化係数が影響する[クリックで拡大] 出所:三菱電機

 このブロックエンコーディングでは、量子計算全体のコストに影響する要素として、行列を埋め込むために必要となる回路コストと正規化係数がある。

 行列の非ゼロ要素を1つずつ個別に入力する単純な方法では、同じ値や似た構造が繰り返し現れても、それぞれを個別に扱うことになる。その結果、正規化係数が増大し、量子ゲートの操作数や回路の実行回数が増えるため、量子計算の実行コストが高くなる。

 そこで今回の手法では、行列内の同じ値やその出現パターンを整理し、パターン同士の重なりに着目した。共通部分を再利用するとともに、値同士の大小関係に基づいて係数を差分で入力することにより、行列の構造を利用した効率性を保ちながら、量子コンピュータで扱いやすい入力形式へ変換できるようにした。

開発成果1:大規模行列データを量子コンピュータで扱いやすい形に整理。同じ値と出現パターンを整理し、係数を差分で入力することで、計算の手間と正規化係数を削減する 開発成果1:大規模行列データを量子コンピュータで扱いやすい形に整理。同じ値と出現パターンを整理し、係数を差分で入力することで、計算の手間と正規化係数を削減する[クリックで拡大] 出所:三菱電機

 こうしたアプローチについて、村上氏は次のように説明する。

「われわれは特定の1つのシミュレーション問題ありきでスタートしたのではなく、製造業のCAEで広く使われる“規則的な構造を持つ疎行列”を、共通のパターンとしてどのように数理的に定式化できるかという体系化の切り口でアプローチした。その結果、新たな着想と成果につながった」(村上氏)

 与えられた行列構造の中でどこまで共通部分を再利用できるかについても理論的に解析し、今回の技術が効果を発揮する条件を明確化した。さらに、代表的な物理シミュレーションの行列計算でも有効性を確認しているという。

計算順序を工夫し、角度パラメーターを安定的に算出

 2つ目の開発成果は、量子回路の設計に必要な角度パラメーターを安定的に求めるアルゴリズムだ。

 量子CAEで利用する量子特異値変換や量子信号処理では、所望の行列計算を行うため、計算の働きを多項式で近似し、その多項式を量子回路上で再現するための角度列パラメーターを事前に求める必要がある。なお、このパラメーターの計算自体は、通常のコンピュータで実施されるという。

 従来手法では、角度列パラメーターの計算途中で極端に小さな数を扱うため、丸め誤差や桁落ちの影響が大きくなり、算出精度が低下するという課題があった。そのため、量子回路で所望の計算を行うために必要な角度パラメーターを、安定して高精度に求めることが難しかった。

 村上氏は「今回われわれは、なぜこの不安定さが発生するのかを数学的に分析した。その結果、量子特異値変換で扱う多項式の係数の並びと、角度列を計算していく順番(方向)の組み合わせに原因があることを解明した」と説明する。

 そこで今回の手法では、計算の向きを一度反転させた状態でパラメーターを算出し、その後で順序を元に戻す方法を採用することにした。

「極端に小さな数から計算を始めるのではなく、十分に大きな数から順番に引いていくような形にすることで、丸め誤差や桁落ちの影響を回避できるようにした」(村上氏)

開発成果2:量子回路設計に必要な角度列パラメーターの計算を安定化。計算の進め方を工夫し、丸め誤差や桁落ちによる数値的不安定性を回避する 開発成果2:量子回路設計に必要な角度列パラメーターの計算を安定化。計算の進め方を工夫し、丸め誤差や桁落ちによる数値的不安定性を回避する[クリックで拡大] 出所:三菱電機

 行列反転、ハミルトニアンシミュレーション、位相推定、固有値フィルタリングを対象とした数値実験では、角度列パラメーターをより安定的に高い精度まで求められることを実証したという。

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