大戦景気で拡大する日本の紡績産業、豊田佐吉の事業と研究も継承の段階へトヨタ自動車におけるクルマづくりの変革(10)(3/5 ページ)

» 2026年01月22日 06時00分 公開

6.豊田式織機をはじめとする日本の紡績機械産業の拡大

 1916年(大正5年)、吉野作造が「中央公論」で「民本主義」を提案。夏目漱石が死去。

 1914年7月〜1918年11月の第一次世界大戦の影響で、豊田紡織本社工場の前身に当たる豊田自動紡織工場の業績も好調に推移し、逐次工場の増設が行われた。その結果、1916年には紡機3万錘、織機1000台の規模となり、名古屋電灯からは720kWの電力供給を受けた。

 ここで、豊田佐吉が1910年(明治43年)4月に辞職しているので直接の関係はないものの豊田式織機について触れておく。

 1916年(大正5年)5月末に、試験操業用織機製造会社として佐吉との間に信用と実績があった木本鉄工所は豊田式織機に買収され、「大阪支店工場」となった。これは、実は豊田佐吉が織機の製造体制を根本から見直すために買収したのである。木本鉄工所は、以前から豊田式織機の部品製造を請け負っていた工場だが、鋳造技術や機械加工の面で課題を抱えていた。特に、部品の互換性がなく、同じ織機でも寸法や形状が異なるという問題が量産の障害となっていた

 同工場の職工は約450人で、工場増築、諸機械の増設、その他工具類の整備など十分な投資をして諸般の準備を完了し、和泉紡績からの精紡機5000錘の受注によって紡機製作の端緒を担った。

 ここで、織機づくりの裏舞台として、豊田式織機の両工場におけるモノづくりの基本的な体制について見ておく。

 連載第9回で述べたが、佐吉は1909年から自動織機の製造体制の強化に向けて、木本鉄工所の買収を進める準備を始めた。佐吉の技術陣(設計責任者の岡部岩太郎、鋳造責任者の久保田長太郎、機械技術者の土屋富五郎など)は木本鉄工所に移籍し、鋳造技術と部品精度の向上を目的に、どのような機械で織機のどの部分を作るのか、これらの機械とその他の工具類の整備などに向けてなど、全て豊田佐吉の指導の下で織機づくりの新体制が導入された。

 この再編により、豊田式織機は鋳造/加工/組み立ての一貫体制を確立し、織機の量産に向けた基盤が整った。特に、広幅鉄製織機(H型)の製造においては、木本の鋳造技術が大きな役割を果たし、輸入品に匹敵する性能を持つ国産織機の開発が可能となった。

 こうしたモノづくりの裏方体制の整備により、従来の「職人頼みの手作業」から脱却し、米国式の標準化/量産技術が導入され、後のトヨタ自動車におけるモノづくりにもつながる重要な技術基盤になったと思われる。

 表4は、大阪支店工場の敷地坪数、主要工作機械※6)、織機などの整備状況を示す。本社工場は織機製造に集中しており、紡績機械は大阪工場の担当だった。なお、紡績機械の製造規模拡大のため、10年後に新川工場が建設される。

工場名 敷地坪数(人) 主要工作機械(台数) 織機等
本社工場 6830坪(800) 旋盤(133)、シェーパ(14)、プレーナー(6)、ドリリング(62)、ミーリング(25)、グラインダ(64)、特種機械(80)、木工機械(23)、熔解炉(4基) 広幅織機1万2000台、小幅織機6000台
大阪支店工場 6300坪(650、内職工450) 旋盤(142)、車軸旋盤(6)、シェーパ(12)、プレーナー(9)、ドリリング(46)、ミーリング(19)、グラインダ(37)、特種機械(86)、木工機械(10)、熔解炉(2基) 動力伝導装置60万円、紡績機械及織布準備機210万円
表4 大阪支店工場の敷地坪数、主要工作機械、織機等の整備状況

※6)主要工作機械について解説する。詳細は、武藤一夫「図解よくわかる機械加工」(共立出版、2012年4月)をご覧いただきたい。

 旋盤(せんばん、lathe、turning machine)はチャック(土台)に取り付けた工作物(ワーク)を回転させ、刃物台に固定した単刃工具のバイトとの相対運動で切削加工を行う工作機械で、「外丸削り」といった外径加工、「中ぐり」「穴あけ」といった内径加工、ねじ切り加工などを行う。製品形状は丸物。

 シェーパ(shaper、shaping machine)は型削り盤といい、ラムの先端に固定した単刃バイトを直線往復運動させ、テーブルに取り付けた工作物の表面を平面にしたり溝に加工する機械。ラムを送り出す往時に切削し、復時は早送り機構で瞬時に戻る。

 プレーナー(planer、grinding machine)は、水平往復運動するテーブル上に工作物を取り付け、工作物の運動方向と直角方向に間欠運動を行うバイトで平面の切削を行う門型の大きな工作機械。

 ドリリング(drilling、drilling machine)は、ドリルなどの工具を主軸に取り付けて、回転させて、テーブルに固定した工作物にドリルで穴を開ける穴あけ加工の作業およびその工作機械のこと。

 ミーリング(milling、milling machine)は、回転する主軸にフライスやエンドミルという複刃工具を取り付け、テーブルに固定した工作物を平面、側面、溝、穴などさまざまな形状に削り取る加工の作業およびその工作機械。当時は主軸が横になった横型フライス盤が用いられた。

 グラインダ(grinder、grinding machine)または研削盤(けんさくばん)は、研削砥石(といし)を工具として使用し、その回転運動によって工作物の表面の研削または切断を行う加工の作業およびその工作機械。

 豊田式織機では、第一次世界大戦の好景気によって、織機の大量需要と紡機製造に着手すべく、名古屋本社、大阪支店工場の拡張増設をしたが、両工場とも広い工場故に臨時賃借した。

 その後、第一次世界大戦後の恐慌の打撃があったが、紡績業界は、海外発展の機運増大を受け、増産計画は中国方面への進出となり、上海に工場の建設や拡張を行う状況にあった。そのような中で、豊田式織機は紡機織機ともに注文を受け、内地の不況を緩和し、業績平衡を保つことができた。

 表5は1916年(大正5年)の「工場通覧」における第11類「機械製造業」中の紡績機械および関連品製造工場を整理したものだ。職工数10人以上の工場についてまとめているが、全国の34紡織機工場(織機鋳造工場との関連工場も含む)のうち、大阪は18工場と半数以上を占めている。

 その創立年を見ると、天満小森鉄工所、佐尾鋳造所、木戸鉄工所など明治20年代に設立された工場もあるが、そのほとんどは1907年(明治40年)前後と大正年代に入って設立されたものであることが分かる。

工場名 所在地 品目 工場主 創立年月(明治) 職工数(人) 動力(HP)
田辺鉄工所 東京府南葛飾郡 紡績紡織機械他 - 40/3 23 電 5
王子鉄工所 東京府北豊島郡 紡績用諸機械 中島 大正元/8 19 ガソ 7
(合)品川鉄工所 東京府荏原郡 紡績機械 島田 39/10 20 電 5
石井鉄工所 大阪府西区 紡績諸機械 - 31/6 65 ガ 10
羽路製作所 大阪府北区 製織機械 - 27/3 10 -
(合)本野鉄工所 大阪府北区 紡織機械 - 大正5/4 15 電 2
豊田式織機(株) 大阪府西区 紡織機械 - 大正5/7 387 汽・電 180
応谷鉄工所 大阪府西区 紡績機械付属品 - 42/11 45 電 7.5
加地鉄工所 大阪府南区 紡織機械 - 38/10 50 電 12
(合)檜山鉄工所 大阪府北区 製綿機 - 43/4 40 電 5
米田鉄工所 大阪府南区 紡績用機械 - 42/9 20 電 3
白谷鉄工所 大阪府北区 紡織機械部品 - 大正4/1 15 電 3
熊谷製作所 大阪府北区 紡績諸機械 - 37/7 16 電 5
安西鉄工所 大阪府南区 紡績機械付属品 - 40/3 14 電 3
松田鉄工所 大阪府西区 紡績機付属品 - 40/1 11 電 3
小池鉄工所 大阪府南区 紡織機械付属品 - 42/9 23 電 5
天満小森鉄工所 大阪府北区 紡織機械 古川 22/2 85 ガ・電 10
佐尾鋳造所 大阪府東区 紡績機械 - 29/ 25 -
木戸鉄工所 大阪府東成郡 紡績機械付属品 - 27/ 68 電 20
森鉄工所 大阪府北区 紡績機械 - 41/12 20 電 5
木本鉄工所 大阪府西成郡 紡績機械 - 大正5/5 157 ガ・電 10
松本(合)工場 神奈川県鎌倉郡 リングトラベラー※7) 大正5/4 17 電 1
金井トラベラー製造所 兵庫県尼崎市 トラベラー 27/1 20 電 7
山本鉄工所 兵庫県姫路市 紡績付属品 39/4 30 汽 10
(株)中央鉄工所 三重県四日市市 紡織用機械 大正元/11 151 汽 35
大西製作所 三重県四日市市 紡織機械付属品 45/4 19 電 1.4
三河屋鉄工場 三重県桑名郡 紡績付属機械 加藤 27/ 22 石・電 12
市川鉄工所 愛知県岡崎市 打綿機 39/1 13 電 2
野上製作所 愛知県愛知郡 紡織機械 大正5/11 98 ガソ 5
久門民平 愛知県名古屋市 紡績機械具 大正3/4 11 電 1
上田鉄工所 滋賀県大津市 紡織機械器具 31/2 43 電 5
淀見鉄工所 和歌山県和歌山市 紡績機械付属品 30/11 14 電 2
松本鉄工所 愛媛県越智郡 ラミー紡績機 36/8 72 石・電 10
阿部鉄工所 愛媛県越智郡 紡績機械 39/11 12 電 2
表5 紡績機械および関連品製造工場一覧表(1916年(大正5年)12月31日時点) 出所:農商務省商工局「工場通覧」(大正7年)から作成。汽は蒸気機関。電は電気。石は石油。ガソはガソリン

※7)リングトラベラーは、リング精紡機に使われる部品で、金属リングの縁を巡るトラベラーと呼ぶ金具。リング精紡機は、精紡機の一種。粗糸を引出して細くする牽伸(けんしん)ローラ、紡錘を中心として上下するリングと、その周辺を回って、糸によりを加え、巻き取りのためのガイドをするトラベラー、急速回転するスピンドルから成り、連続的に精紡する機械で、綿紡績の最終工程に使用される機械。1828年、米国のジョン・ソープによって考案されたもの。プラット製のリング精紡機は、当時世界中の紡績機械の中で最も優秀であった。綿紡をはじめ各種繊維に広く用いられる。生産能率が非常に良く、紡績工程を革新したものといわれ、日本では綿紡の大部分がこれを使用している。

 以下に、歴史的背景(明治末〜大正初期の紡績業、機械工業、電化状況)と照らし合わせて、上記の表5から読み取れる主要なポイントと推察できる事柄をまとめた。

1)工場の地理的分布からの推察

  1. 圧倒的に大阪に集中している。掲載工場の約7割以上が大阪府内に立地し、特に、大阪市北区、西区、南区、東区、西成郡、東成郡などに密集。当時、大阪は既に「東洋のマンチェスター」と呼ばれ、日本最大の紡績/織布基地であった。また、紡績機械メーカーも需要地の近くに集積していた
  2. 東京、愛知、三重、兵庫にも一定数存在している。まず、東京府の田辺、王子、品川など。次に、愛知県の野上製作所(後の豊田式織機の地域)、岡崎市の市川鉄工所。そして、三重(四日市など)、兵庫(尼崎、姫路)にも一定数の工場があり、紡績産業の主要地(阪神、東海、関東)に「部品供給網」が形成されていた

2)生産品目からの推察

  1. 織機メーカーが多い。特に、「紡織機械」「製織機械」「紡績機械付属品」が圧倒的で、次に豊田式織機、中央鉄工所などの紡績本体(リング精紡機など)を丸ごとつくる企業は少数。当時の日本の工業の典型であり、分業化/下請構造にあり、完成機よりも“部品/付属品メーカー”が非常に多く、中小企業のクラスタ形成がなされていた
  2. トラベラー専業メーカーが存在している。トラベラーは紡績の必須消耗部品で、例えば、松本(合)工場(神奈川)、金井トラベラー製造所(尼崎)がある。これは、重要部品の国産化が進んだ証拠
  3. ラミー紡績機(愛媛)など、特殊繊維向けの地域独自産業も見られる。これは、地場産業(伊予の麻業)と機械製造が結びついていたことを示す

3)工場規模(職工数)からの推察

  1. 10〜50人規模が多数(小規模工場中心)で、10数〜30人程度が最頻値。一方、100人以上は極めて少数(豊田式織機387人、中央鉄工所151人など)。これは、紡績機械製造業は中小の町工場が支えた産業であり、“地場技術者ネットワーク”が機械技術を支えていたことを示す
  2. 豊田式織機(後のトヨタ)が突出しており、職工数387人、動力180HPで、圧倒的に近代的で大規模な工場になっている。これは、豊田式自動織機(G型)につながる基礎体力形成期を示す

4)使用動力からの推察(近代化・電化の進展度)

  1. 電力が急速に普及(全体の主流)。多くの工場が電力(電)を主動力にしている。動力HPも3〜20HP程度の小さな電動機が中心で、小規模工場の電化が急速に進行していた
  2. ガソリン、石油、蒸気が併用される工場も、日本全体が電化の途上で、地域の電力供給事情や工場規模による動力の多様性があり、特に中京や地方の工場では電源インフラが弱く、ガソリンと蒸気を併用している
  3. 豊田式織機は“汽・電 180HP”と非常に大能力であり、大工場としての近代化設備を保有している

5)創立年月からの推察

  1. 明治20〜40年代に創業した老舗が多い。明治後期は日本紡績業の急成長期であり、機械の国産化ニーズが一気に増えた
  2. 大正期(1912年以降)創業の新興企業も多数。このころ、紡績は既に“国内最大の基幹産業”になっており、機械需要が絶えず、新規参入も多かった

6)産業構造として推察できること

 以下のような大きな流れが明確に示されている:

  1. 日本機械産業の“下請け多層構造”の萌芽
    • 部品メーカー、中小工場が密集
    • 完成機メーカーは少数
  2. 技術の国産化が既にかなり進展
    • トラベラー専業工場
    • 打綿機、リングトラベラー、付属品など
      →紡績機械のほぼ全工程が国内で賄えるようになっていた
  3. 大阪を中心に“産業クラスタ”が形成
    • 地域内で鉄工業、鋳造業、付属品メーカーが結合して紡績機械を支えた
  4. 豊田式織機の存在感の大きさ
    • 表5の中で最大規模
    • 大正5年時点で既に巨大工場
      →後のトヨタ自動車の技術基盤(自動化、機械加工技術の蓄積)が読み取れる

 この表5から読み取れる最も重要なことをまとめると、以下の2点になる。

  1. 1916年時点で、日本は紡績機械をほぼ完全に国産化し、その製造は大阪を中心に中小工場のネットワークによって支えられていた
  2. 同時に、豊田式織機のような大規模近代工場も登場し、日本機械産業の近代化が加速していた

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