1908年(明治41年)、第10回衆議院議員総選挙。赤旗事件。戊辰詔書。同年9月、米国でゼネラルモーターズ設立※13)。10月、図13に示す米国の「T型フォード」※14)が発売。ルネ・ロラン(Rene Lorin)※15)がラムジェットエンジンの特許を取得。
※13)ゼネラルモーターズ(General Motors Company、略称GM)は、米国のミシガン州デトロイトに本社がある自動車メーカー。1908年9月16日に、馬車製造家ウィリアム・C・デュラントが1904年に買い取ったビュイックとオールズ・モーターを合併して、ミシガン州フリントで組織した持株会社。1909年にキャディラック・オートモビル、エルモア、オークランド(後のポンティアック)、トラックメーカーのラピッド・モーター・ビークル・カンパニーを買収し、1911年にゼネラルモーターズ・トラック・カンパニー(GMC)と改称した。設立後、数多くの中小の自動車会社を合併して事業を拡大した。1918年にはシボレー・モーターを買収。フォードは製品をT型1種に絞り、大量生産で価格を下げて、庶民でも手が届くクルマを提供した。これに対し、GMは大衆車から高級車まで、幅広い製品を並べ、販売網を整備する戦略をとった。これが功を奏し、1908年に2900万ドルだった売上高は、1910年には4900万ドルに達した。
※14)ヘンリー・フォードは1896年に初めてガソリン自動車を製造販売する。価格を下げるためには、高い生産の効率化を進めるため、他のモデルを廃止して生産能力をT型に集中させ、大量生産に向けた準備を進めた。当時の自動車の価格が2000ドル以上であったので、850ドルという低価格のT型は、フォードが意図とした大衆車を実現した。大衆の平均年収は600ドルほどで、なんとか手の届く値段だった。安いからといって、作りが悪いわけではなく、ボディーには高張力のバナジウム鋼を使用し、車体強度の確保と軽量化を実現。トランスミッションは遊星歯車を使った半自動方式で、初心者でも簡単に操作できた。エンジンは優秀な鋳物技術を生かして4気筒一体型で、頑丈であるとともに生産性が高かった。点火方式は、最新のマグネトー式を採用。その結果、翌年1年間で1万台以上の爆発的な売り上げを達成した。当時、米国全体の自動車生産台数が7万台程度であったので、1車種の売り上げとしては驚異的なものであった。1910年にはハイランドパークに工場を新設し、量産体制を整えていった。T型は1908年の誕生から1927年の生産終了までに、1500万7033台が生産された。
※15)ルネ・ロラン(Rene Lorin、1877〜1933年)は、フランスの航空宇宙技術者。ラムジェットの発明者(特許FR390256)。ラムジェットは、燃焼用の空気を供給するためにエンジンを前進させる必要がある空気吸入式ジェット・エンジンの一種。
同年、豊田佐吉は、名古屋市内菊井町藪下に織布工場を設立する。これは、豊田式織機に引き継がれた試験用の織布工場が「廃止されて倉庫に転用されていたため」だ。
表3に、1908年(明治41年)に豊田佐吉が申請した3件の特許を示す。
特許番号 | 発明者(特許権者) | 出願日 | 登録日 | 発明の名称(連載第7回の表2と対応) |
---|---|---|---|---|
14665 | 佐吉(本人) | 明治41.6.21 | 明治41.7.3 | 織機用捲取装置⇒今回解説 |
15009 | 佐吉(本人) | 明治41.8.5 | 明治41.9.29 | 経糸停止装置(6.経糸切断自動停止装置)⇒今回解説 |
15097 | 佐吉(本人) | 明治41.8.7 | 明治41.10.20 | 15.投杼桿受 |
表3 1908年(明治41年)に豊田佐吉が申請した特許 |
豊田佐吉は、1896年(明治29年)に開発した豊田式汽力織機において「自働化」の原則の第一則「異常時は機械を止める」を実行するために、連載第5回で解説した「緯糸切断停止装置」を発明した。小さい張力の緯糸を利用して、織機を一定のタイミングで停止させるという大変シンプルで巧妙な機構である。
佐吉は、こうした不具合の発生を防止する装置の研究に取り組み、上述の緯糸切断停止装置をはじめ、経糸が切断しないように張力を一定に保つ装置や、1907年(明治41年)に経糸が切断したときに自動的に織機を停止する「経糸切断自動停止装置」(特許第15009号)など、数々の発明と改良を行った。その結果、織り出す綿布の質が高く、一定である点が評価され世間から大きな注目を集めた。
ここからは、佐吉が1908年(明治41年)に特許申請した「織機用捲取装置(捲取装置)」と経糸切断自動停止装置について見ていこう。
表3に示したように、佐吉は1908年(明治41年)6月21日に捲取装置を特許申請し、同年7月3日に特許第14665号を取得した。図14にその捲取装置を示す。
捲取装置は、図14(c)に示すように、筬(おさ)打ち※17)運動を利用してラチェットを駆動し、歯車列によりサーフェスローラを回転させる方式である。図14(a)と(b)に示すように、織物は圧力を調整できるプレスローラにより確実に把持される。布を巻き取るクロスローラはロープによって回転が伝えられ、布巻径が大きくなっても一定の速度で巻き取るようにロープがスリップして回転を調整するようになっている。
※17)筬打ち(おさうち)は、織物を織る際に、経糸と緯糸を交差させて布を作る際に、筬(おさ)を使い緯糸を経糸に打ち込み密着させる操作のこと。この筬打ちによって、布の密度や織りの模様が決まる。ちなみに筬は、くしの歯のような形状をした織機の部品で、経糸(縦糸)を通す隙間がある。手織りでは、筬打ちのタイミングや強さを調整し、開口(経糸を上下させることで作る空間)との兼ね合いが重要になるが、力織機などの機械織では、開口運動のカムプロフィールや張力調整装置の操作がポイントになる。
一方、経糸切断自動停止装置は正式名称を「ヘルド探知電気式経糸切断自動停止装置」という。図15にその概要を示す。
ヘルド探知電気式経糸切断自動停止装置は、経糸を開く部品(金属製ヘルド)で糸切れを検出し、電気信号に変えて織機を止める装置であり、つまり電気式で織機を停止させている。1903年(明治37年)に特許取得した第7676号の機械式の経糸切断自動停止装置とは全く異なる。このことは、失礼ながら、高等教育を受けていない当時の佐吉の知識と経験から察するに、まことに注目に値する。
図15(a)は、トヨタ産業技術記念館に展示されている、ヘルド探知電気式経糸切断自動停止装置の模型である。
経糸が切れると、薄い金属製ヘルドが落下して下に設けられた電気回路を閉じ、電磁石が作動して停止機構が働き、織機を自動的に停止する方式で、従来のヘルドによる探知を電気式にしたものだ。1908年は産業用電力が普及し始めtたころであり先進的な着想であった。
経糸が切れる前は図15(b)のような動作になっている。クランク(1)の回転でレースソード(2)が揺動し、それに同期して綜縦枠(3)と金属製ヘルド(4)が上昇と下降を繰り返す。ブラシ(5)は下降時に電極(6)の表面を掃除する。
経糸が切れた後は図15(c)のような動作になる。金属製ヘルド(4)が電極(6)の間に落下して通電し、電磁石(7)がレバー(8)を引き上げる。レースソード(2)がレバー(8)を押して、起動ハンドル(9)を解除し織機を止める。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.