日本ものづくりワールド(2021年2月3〜5日、千葉県・幕張メッセ)の特別講演として、本田技研工業 執行職 生産技術統括部統括部長の神阪知己氏が「Hondaのものづくり〜生産技術への変わらぬ想いと新たな挑戦〜」をテーマに講演を行った。
日本ものづくりワールド(2021年2月3〜5日、千葉県・幕張メッセ)の特別講演として、本田技研工業(ホンダ) 執行職 生産技術統括部統括部長の神阪知己氏が「Hondaのものづくり〜生産技術への変わらぬ想いと新たな挑戦〜」をテーマに講演を行った。
創業者である本田宗一郎氏自らがリーダーとなり生産技術部門を独立させた経緯を持つホンダは、創業以来クルマ、バイク、マリン、パワープロダクツ、さらに航空機であるHondaJetなどへと事業を拡大してきた。講演では、宗一郎氏の生産技術に対する変わらぬ想いを原点とし、数々の生産技術を研究開発から工場導入まで時代に即したユニークな発想で具現化してきた歩みや変わりゆく環境へ柔軟に対応する今後の取り組みを紹介した。本稿ではその内容を紹介する。
ホンダの生産技術統括部は研究開発、生産技術およびホンダ内で活用する金型設備の生産部門などで構成されている。海外では米国、中国、アジア、英国にホンダの製造拠点内に設置しており、設備の導入などに対応する。
生産技術部門の歴史は1970年設立のホンダ工機から始まる。当初、埼玉製作所と鈴鹿製作所の2拠点からスタートし、現在は41拠点に拡大。年間生産台数(四輪)は500万台に近い実績を残す。生産技術部門の開発要員は現在約1000人。グローバルの総要員としては約4000人を抱える。
ホンダ工機の初代社長は本田宗一郎氏である。神阪氏は「創業者が生産技術統括部の源流であるホンダ工機の初代社長であることを誇りに感じている」と述べている。その後、ホンダ工機と生産技術部を統合し、ホンダエンジニアリングの設立などがあったが「特徴として、当初からハードウェアだけでなくソフトウェアにも対応していた点がある。これは現在も続けている」と同部門の役割について神阪氏は語る。
当時から、できる限り生産プロセスを短くして品質を安定させる「短い工程、短いライン」や「1工程マルチ加工」「ロスのない最高スピード」など本田宗一郎氏が掲げた思いをより良い形で実現できるように50年間追求してきた。さらに「『世の中にないなら自分達で作れ』という教えを具現化するためにさまざまな取り組みを行ってきた」と神阪氏は述べている。
同社のクルマ製造は車体系のフレーム関連技術とパワートレイン系のパワーユニットやエンジン関連の2つの技術が軸になっている。新たな視点でのモノづくりへの取り組みは、初期の自動車である「初代N360」から始まった。当時のクルマづくりは部品を小さく分けて、継ぎ足して完成させるというのが常識だった。
それに対して本田宗一郎氏は「おもちゃの自動車のように一体で作れないか」と考えた。一体で作ることは、前工程は苦労するが、精度が安定し作りやすいというメリットがある。これに向けて、サイドパネルを一体で成型する技術などを具体化した。その後、モヒカン構造に進展。ルーフとサイドパネルをスポット溶接で接合する構造に至った。これにより、基本的に自動化が容易になりさらに製造プロセスも短縮が可能となるなど技術の発展につながっている。
現在は、EV(電気自動車)など電動化にも大きな関心が高まっており、モノづくりの在り方が大きく変わるとされているが、こうした変化にも柔軟に対応していく方針だ。既にハイブリッドシステムなどでは新たなモノづくりの形を試行錯誤しながら作り上げてきた。
モーターはホンダIMAシステム(Integrated Motor Assist System、同社が開発した小型・普通乗用車ハイブリッドシステム)から始まり、現在のI-MMD(発電用モーターと走行用モーター、ハイブリッド専用エンジンを備える2モーターハイブリッドシステム)へ進化した。「自前で全ての工程を手に入れながらモータラインを具現化することを実現した。理想を追い求め、その間の失敗から改良を加えながら、競争力の高い技術を確立してきた」(神阪氏)。
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