TOTOのヒット商品「ウォシュレット」が1980年の発売から40周年を迎えた。温水洗浄便座の代名詞として日本のトイレ文化に革命を起こしたウォシュレットだが、どのように開発され、これまで進化を続けてきたのだろうか。
TOTOという名前は、米国西海岸のロックバンドと間違えない限り、誰もが間違いなく「トイレで見たことがある」というブランドだ。そもそも日本でアルファベット4文字を見ただけで製品から業態までパッとイメージできる企業は、SONYかTOTOぐらいだろう。雑学好きの方であれば、TOTOのもともとの社名が「東洋陶器」であることもご存じかと思う。
そんなTOTOのヒット商品と言えば「ウォシュレット」である。製品としては「温水洗浄便座」というカテゴリーになるが、それらを称して多くの人が“ウォシュレット”と呼ぶほどに、日本ではこの名前が深く浸透している。内閣府の直近の調査によれば、日本における温水洗浄便座の普及率は80.2%。もちろん各社が温水洗浄便座を発売しているので、全てがTOTOの製品ということはないが、その普及に最も貢献したのはTOTOだと言っても異論のないところだろう。
そのウォシュレットが発売されたのは1980年。今年2020年に発売40周年を迎えた。今回は、TOTO 広報部 東京広報グループの松竹博文氏に、ウォシュレットの開発の歴史や今後の展開などについて伺った。
―― まずはウォシュレットの原点といいますか、お湯でお尻を洗うという発想はどこから来たんでしょうか。
松竹博文氏(以下、松竹) お湯でお尻を洗う温水洗浄便座という製品は、1960年代にさかのぼります。当時米国に、肛門科の医療用として製造していた「ウォッシュエアシート」という製品がありまして、当社はそれを輸入販売していました。同時期には当時の伊奈製陶(現在のLIXIL)さんも欧州から同様の製品を輸入販売しておられました。それが最初ですから、お尻を洗うという発想は日本発ではなくて、米国や欧州で先に考えられたものではあります。
―― そうなんですか! しかしそれが国産、自社生産へと変わっていくわけですよね。
松竹 1967年に、当時日本の輸入商社の方がその特許を取得したということで、日本国内での製造が始まります。ただ当時の製品は、便座の後ろにお湯をためるタンクがありまして、これが出っ張りになっていました。また、医療用ということもあって、座り心地がまずあまり良くなかった。さらに、その頃はお湯の温度が電子制御ではなかったものですから、突然熱いお湯が出てくるといったことがありました。
小説家の遠藤周作先生のエッセイで、温水洗浄便座を買ってみて息子が試してみたら熱湯が出てきて飛び上がった、というような逸話が出てくるそうです。一般消費者が使うには商品として使い心地があまりよくないということがあり、もっと家庭で手軽に使えないかということで、1978年から当社における開発が始まったという背景があります。
―― ということは、1970年代にはもう一般家庭でも使われていたということですか。
松竹 もともと医療用ですから販売数自体は多くありませんでした。販路もいわゆる病院向けが中心でしたが、実際にヒアリングしてみると、口コミで一般家庭にも販売されているということが分かったのです。手掛けた当初はそんなに売れないと思っていましたが、年間7000〜8000台は販売されていたようです。
―― そこから自社オリジナル製品の開発へと発展していったわけですね。
松竹 温水洗浄便座が快適だという利用者の話を聞いて、それなら一般家庭向けでもニーズがあるのではないかと考え、開発を始めたのが1978年です。また、当社は陶器の会社ということもあって、陶器と同じ材料を使うセラミックヒーターの技術を持っていました。このセラミックヒーターを使って安定した温水を出すことも見込んでいました。
ただし、水と電気は、安全性の観点で見ると相性が良くありません。当時、トイレのような水回りに電気製品を使うことはなかなか難しいことでした。また、きめ細かに温水の温度を制御するためにICを用いた制御回路を採用することにしたんですが、これについても開発者はいろいろと苦労したようです。
しかしある日、開発者が雨の中で道を歩いている時に信号を見て「屋外に設置されている信号は、電子制御されているにもかかわらず雨にぬれても壊れることはない。これはどうやっているんだろう」と考え、信号機メーカーに協力を求めたところ快諾を得ました。そのメーカーでは、IC回路を樹脂で固めるとともに防水ケースに入れるという対応をとっていたのです。これをヒントにIC回路の開発を進めて、ようやくきめ細かな温度制御ができるようになったということです。
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