さて、ここまでの話はCortex-AのCPUを対象にした話だったが、Arm TechCon 2019ではMCUに用いられる「Cortex-M」向けで強烈な「Helium」推しがあった(図5)。
Heliumは、2019年2月に発表された「Arm v8.1-M」で新たに追加されたMVE(M-Profile Vector Extention)で、要するにCortex-Mで利用できる128bitのSIMDエンジンである(図6)。従来、Cortex-Mには「CMSIS-NN」と呼ばれるフレームワークが提供されており、これはCortex-M4のDSP命令などを利用することでNNを効率的に動かそうというものであったが、Heliumでは(この時は発表されなかったが)ArmNNでの利用が可能となっている。
これを念頭に置いた上で、2020年2月に発表があった「Cortex-M55」と「Ethos-U55」を眺めると、Cortex-Aと同じ戦略をCortex-Mでも推し進めようとしていることが見えてくる。つまり、今後はHeliumを実装するCortex-Mが増えてくるので、まずはこれである程度の性能を持ったソリューションが構築可能であり、より性能が欲しい場合にはEthos-U55を組み合わせることで、アプリケーションの書き換えなしにより高い性能が得られる、というシナリオである。
この発表に合わせてArmはエンドポイントAI(Endpoint AI)という概念を発表した(図7)。これまでIoT(モノのインターネット)におけるAI処理は、クラウドあるいはせいぜいがエッジ止まりだったのを、今後はエンドポイントにも広げたいという戦略である。
この領域は今のところまだ手付かずの、いわばブルーオーシャンであり、スマートフォン向けのレッドオーシャンとはちょっと様相が異なる。もちろんCEVAやVeriSiliconのように、MCUに向けたNPU IPを提供しているベンダーはあるし、ETA Computeのように「Cortex-M3」に独自のDSPベースNPUを搭載した製品の出荷を開始したベンダーもある。さらに言えば、このマーケットは小規模FPGAとも思いっきり競合するわけで、Lattice SemiconductorとかQuickLogicなどのソリューションともかなりぶつかる部分はあるが、スマートフォンと異なりこれから大きな伸びる可能性が高いだけに、今から手を打っておけば将来のマーケットが期待できるという側面はある。
早くもNXPは、将来のMCU/Crossover MCU向けにEthos-U55に関してArmとパートナーシップを結ぶなど、MCUのマーケットでも一波乱ありそうな勢いである。
気になるのは製品の投入時期である。Cortex-M55とEthos-U55の発表会で明らかにされたのは、Cortex-M55コアそのものはCortex-M33コアとほぼ同一のエリアサイズであるが、Heliumを実装するとこれが倍になるという事実だった。そして、Ethos-U55のエリアサイズは最小の32MAC構成でもCortex-M33と同じ程度というのだ。
Ethos-U55の利用にはDSP拡張が必要なので、事実上Heliumの実装が必要になる。つまり、Cortex-M55+Ethos-U55という構成は、現行のCortex-M33の3倍ほどのエリアサイズになるわけだ。Ethos-U55を最大構成(256MAC)にすれば10倍になるだろう。こうなると、今のCortex-M33(55〜40nmプロセスで製造)と同じ製造プロセスではペイしないのは明白で、最小の32MAC構成なら28nmプロセスでなんとかなりそうだが、最大構成だと16/14/12nmあたりのFinFETプロセスを考慮しないといけないサイズになる。28nmは既に先端(主に自動車向け)MCUでは実用になっているが、まだメインストリーム向けは相対的に安い40nmプロセスあたりを使うことが多い。
Armの言うエンドポイントAIを実現するためには、さらなる微細化が必要なわけで、このコストを正当化できるだけのアプリケーションが必要になる。いずれはMCUも28nmに移行するだろうとは広く考えられていたが、エンドポイントAIに向けたArmの戦略が、この28nmプロセスへの移行を早めることになるのかもしれない。
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