イオンエンジンμ10は、軌道制御用の推進系である。その役割は、小惑星−地球間の航行に必要な加速量(ΔV)を生み出すこと。軌道制御以外の目的で使われることはない……はずだった。
はやぶさ初号機の旅路は、トラブルの連続だった。まず往路では、姿勢制御用に3台搭載しているリアクションホイールのうち1台(X軸)が故障。小惑星に到着後すぐに、もう1台(Y軸)も同様に壊れてしまい、残りは1台(Z軸)となった。
探査機には化学推進の「RCS」が搭載されており、壊れた2軸分の姿勢制御は、RCSで代行できる※1)。しかし、タッチダウン後に発生した燃料漏れで、頼みのRCSまで使えなくなってしまった。リアクションホイール1台だけでは、1軸の制御しかできない。通常ならこれで「万事休す」である。
※1)「はやぶさ2」の化学推進系についてはこちらの記事も参照
⇒「はやぶさ2」は重大トラブルを回避する安心設計 〜化学推進系の信頼性対策【前編】〜
⇒「はやぶさ」「あかつき」の苦難を糧に 〜化学推進系の信頼性対策【後編】〜
ここでプロジェクトチームが編み出したのは、驚くべき手法だった。注目したのはイオンエンジンの中和器。ここからプラズマ化しない生のキセノンガスを噴射すれば、極めて微弱ながらトルクが発生する。これを姿勢制御に使おう、というものだった。
イオンエンジンの本来の使い方ではなかったものの、この方法は成功。スピン安定(回転によって探査機の姿勢を安定させる方式)でZ軸を太陽側に向け、生存に不可欠な電力を確保することができた。ここまでイオンエンジンは健全で、目いっぱい詰め込んでいたキセノンの残量にも余裕があった。これが、探査機を絶体絶命のピンチから救った。
しかし、地球に帰還するためには、スピン安定から3軸制御に戻して、イオンエンジンを本来の形で運転する必要がある。姿勢を制御して、予定通りの方向に噴射しなければならないが、リアクションホイールで制御できるのは、探査機のZ軸まわりのみ。イオンエンジンの推力方向を変えるジンバル制御(Y軸+Z軸)を使っても、あと1軸足りない。
3軸制御のためには、残るX軸まわりの制御が必要になる。ここで活用したのが、太陽光圧(太陽光によって受ける圧力)である。これも非常に微弱であるものの、探査機の姿勢を太陽から傾けると、太陽光圧によるトルクも変化する。太陽光圧は通常であれば単なる外乱なのだが、これを積極的に活用したというわけだ※2)。
※2)参考情報:ISASメールマガジン第152号
ちなみに太陽光圧を姿勢制御に利用する手法は、はやぶさ2にも受け継がれている。はやぶさ2の「OWC運用」(ソーラーセイルモード)は、Z軸のリアクションホイール1台と太陽光圧のみで姿勢を安定させ、残りのリアクションホイールを温存するというもの。非常時に編み出した手法を平常時の運用に取り入れるというのは、何ともしたたかで面白い※3)。
※3)参考情報:こちら「はやぶさ2」運用室:No.7
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