電子楽器のローランドはなぜ“世界初”の業務用映像機器を開発できたのか小寺信良が見た革新製品の舞台裏(12)(5/5 ページ)

» 2019年04月22日 10時00分 公開
[小寺信良MONOist]
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「ツマミ1つでHDRとSDRをやりくりする」

―― 4K/HDRの入力についてお伺いしたいんですが。これはどういうフォーマットに対応しているんですか。

辰井 放送で使われるHLG(Hybrid Log Gamma:ハイブリッドログガンマ)と、映画で使われるPQ(Perceptual Quantization)の両方に対応します。ただ、PQはHDR10だけです。

―― そもそも、せっかくHDRで撮影した信号を、SDRに変換する理由はどこにあるんでしょうか。

辰井 イベントで使うLEDディスプレイとかプロジェクターとかもまだまだHDR対応には至っていないというところですね。解像度だけは4Kや8Kになっていますけど。

笠井 普通は4K/HDR対応となると、入力も出力もそれにそろえないといけないという発想があると思うんです。いやいやそうじゃないですよと。カメラだけ4K/HDRにしても十分メリットがあるんですよっていうのが大きなポイントになります。

―― それはどういうメリットがあるんでしょうか。

辰井:1つは、SDRのカメラで撮ると、どうしても白飛びや黒つぶれしてしまう現場があるからですね。例えば高輝度のLEDディスプレイが背後にあって、手前に人物がいると、どうしても背景の輝度に負けてしまいます。

 それをHDRのカメラで撮影すれば、十分なクオリティーで撮れる。それをSDRにうまく変換すれば、メリットを保ったままSDRディスプレイに出せます。

SDRの色域では背後に明るいLEDディスプレイがあると、両方がうまく撮影できない SDRの色域では背後に明るいLEDディスプレイがあると、両方がうまく撮影できない(クリックで拡大) 出典:ローランド
高色域のHDRからSDR変換を行うことで、うまく収まる 高色域のHDRからSDR変換を行うことで、うまく収まる(クリックで拡大) 出典:ローランド

―― その調整は、ツマミをグイグイ回せばできるようなことになっているんでしょうか。リアルタイムでやるとなると、複数のパラメータを同時に触っていくようなことはできないと思いますが。

笠井 この製品はコンセプトの最初から、ツマミ1つでHDRとSDRをやりくりするっていうのは決めてました。パラメータの数はどんどん増やしたくなるんですけれども、オペレーションのUI(ユーザーインタフェース)を決めるときも、増えすぎないようにというのは、結構気をつけたところですね。

辰井 むしろそこが一番キモになる部分です。結構試行錯誤をして、調整カーブを作ってました。人間の目で見て効果があるように、うまくカーブを作ってあげないといけない。ダイナミックレンジのカーブが色の具合も引っ張っていくんで、このカーブは重要ですね。単純な計算だけではうまくいかないところもありました。

HDRからSDRの変換には多くのノウハウを必要とする HDRからSDRの変換には多くのノウハウを必要とする(クリックで拡大) 出典:ローランド

―― この数値を変えることで、複数のカーブをつないでいく感じなんでしょうか。

笠井 見たいところのレンジをSDRの範囲内に持ってくるということですかね。広く撮っておいて、そこのどの部分を持って行くのか。上を押さえていくのか、下を持ち上げていくのか、それを1パラメータで。

複雑な変換の調整を、1つのパラメータに集約した 複雑な変換の調整を、1つのパラメータに集約した(クリックで拡大) 出典:ローランド

辰井 これ、楽器系では割とやってたアプローチなんですよ。1パラメータでいい感じに変えていくというような発想。アナログコンプレッサーみたいにいろいろパラメータがあるけど、「結局これだけ」というつまみがあって、これを回せばなんとなくいい感じになるみたいなのは、楽器っぽいですかね。ツマミ3つを同時に動かすのはトレーニングがいりますけれども、ツマミ1つだったらトレーニングしなくてもできる。

―― 調整カーブのテストをするのも、あらゆるパターンを想定しないといけないので、なかなか難しいと思うんですが。

辰井 都内のライブハウスをお借りして、LEDディスプレイにPowerPointの画面を表示し、その前に人物を座らせてHDR-SDR変換をみんなで確認したんですけど、そこでいろいろ知見が得られました。ロジック上では分かってたんですけれども、そこまで本当にうまくいくのかなと。その中で、SDRの中では同居するはずのない絵がきれいに収まって、これは大きな進歩であるってのが見た瞬間に分かりました。

笠井 でっかい生肉を買って、スタジオに持ち込んだりしたんですよね。医療系にも使えるようにと。

志水 デジタルの内視鏡も今4K/HDRになってるんです。医療ではダイナミックレンジよりも、高色域のところを使いたいんですね。血の色を正確に見たいというニーズがありまして。

 ところが学会発表となると、会場のプロジェクターがHDRではない。そんな中で正確な色を見せたいというニーズがあります。

―― この商品が出ることで、社会的にはどういう変化が得られるでしょうか。

志水 グローバルですと、まずイベント用としてこういうサイズのHDRシステムというのは世の中に存在しない。長い目で見ると、HDRのコンテンツは間違いなく来るし、4Kも間違いなく来るという中で、HDRとSDRが混在した状況がしばらく続く。それに対応するのはこの製品しかないというのが今の状況です。

 最先端のところに突然ローランドがやって来たような印象がありますが、われわれとしてもこれまでのストーリーの中で、世界初の試みをやったという事になります。



 これまでも製品発表会などでステージ写真を撮ると、背景のディスプレイが明るすぎて手前の人物がうまく写らないということが度々あったが、そういうことだったのかと納得した次第だ。

 写真でもうまくいかないのだから、動画ではなおさらだろう。製品発表や株主総会をネット中継するのが当たり前になっている昨今、HDR撮影を持ち込むというのは、思いがけない使い道だ。

 全てのコンテンツがHDR化するのはまだ相当先の話だろうから、HDR-SDR変換は当分需要が見込めるはずである。最先端を走るのでなく、現場優先でこれまでにない機能を搭載してくるローランドの映像製品から、目が離せなくなってきた。

(次回に続く)

筆者紹介

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小寺信良(こでら のぶよし)

映像系エンジニア/アナリスト。テレビ番組の編集者としてバラエティ、報道、コマーシャルなどを手掛けたのち、CGアーティストとして独立。そのユニークな文章と鋭いツッコミが人気を博し、さまざまな媒体で執筆活動を行っている。

Twitterアカウントは@Nob_Kodera

近著:「USTREAMがメディアを変える」(ちくま新書)


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