―― 今ローランドの映像製品って、主にライブイベントやネットのストリーミング放送に使われる機会が多いと思うんです。2011年1月に発売された「VR-5」という製品が、今のポジションにつながっていったと思うんですけども、VR-5ができるきっかけってなんだったんでしょう。
志水 これも北米の方から、教会マーケットでは映像と音を1台で扱えてコンパクトなものって結構いけるよ、という話がありまして。ですから、最初はストリーミングとか全然意識になかったんです。USBのストリーミングアウトとかも付いてませんでしたし。
ただ、「AVミキサーってだけではそんなに台数見込めないな」とか、いろいろ議論していくうちに、ストリーミング放送が盛り上がってきて、こんな機能をつけたらどうだろうみたいなことで後付けでいろいろ付けていったのが、結果的に良かったのかなと思います。
―― そもそもスイッチャーとオーディオミキサーを一体にした商品って、それまで市場にほとんどなかったんですが、あの発想はどこから出てきたんでしょうか。
笠井 創業者の梯(梯郁太郎(かけはし・いくたろう)氏、2017年に死去)がオルガンが大好きで。オルガンって1人で全部やるじゃないですか。鍵盤弾いたら映像が出るみたいな発想の流れの中で、映像プレーヤーとかリアルタイム映像シンセサイザーみたいな発想があって。
基本的には音があって、それを演出する映像があって、それが1つの固まりであるって言うか、一緒にしたいというイメージ。何でも詰め込みたいという文化はありました。
―― そんな中で、異質な製品がありました。2007年発売の「VC-300HD」は、あらゆる映像フォーマットを相互変換できる機器として、放送業界にものすごくたくさん採用されたんですよね。このVC-300HDは、これまで伺ってきたストーリーからは全く外れていると思うんですけど、どういう経緯で開発が始まったんでしょう。
志水 あれって最初の企画趣旨はインタフェースボックスだったんですよ。「PR-1000HD」という映像のポン出し機があったんですが、PCベースだったので出力がDVIしかなかったんです。その中に、あらゆる信号に対応できる出力装置を組み込むと、ものすごい金額になってしまう。
そこでインタフェースボックスを別に作って、必要な人は組み合わせるというところからスタートしたんです。デザインもPR-1000HDに合わせて。そしたらPR-1000HDよりもコンバーターとしてVC-300HDが売れてしまって。全然違うキラーアプリケーションが見つかっちゃったんです。
―― あれって世の中にある、あらゆる信号フォーマットに対応するという製品でした。信号フォーマットを全部調べるだけで大変だったと思うんですが。
笠井 知らないことばかりで本当に大変でした。ちょうど発売した後に、北京オリンピック・パラリンピックがあったんです。中国の放送方式から日本の方式に変換できる、ハイビジョン対応のものが欲しいという需要がものすごくあって、営業サイドの努力もあって放送局にバッと売れましたね。
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