「つながるクルマ」が変えるモビリティの未来像

なぜ“自動運転”の議論はかみ合わない? レベル3とレベル4を分けるのは人とくるまのテクノロジー展2018(3/3 ページ)

» 2018年06月06日 06時00分 公開
[川本鉄馬MONOist]
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レジリエントなレベル3と、ロバストなレベル4

 さらに伊藤氏は、レベル3とレベル4の違いを人間の存在を軸に新たな切り口で整理した。レベル3のシステムでは、運転席に座る人間の存在が必須になる。そのため、システムの制御外の事態には、人間に車両の制御を渡すことによって運行が継続できる。伊藤氏は、このように人間の存在を織り込むことでクルマというシステムのトータルなレジリエント性(※)を確保しようとするのがレベル3であると説明した。

(※)レジリエント=困難な状況にもかかわらず、しなやかに適応して生き延びる力。

 この考えでいくと、レベル4の本質は人間の存在を仮定しないところにある。人間の制御を必要とせずに安全な状態に落とす必要があるので、ロバスト(頑健)なシステムを目指すものとなるという。

 ただ、レベル3は運転席に座る人間の状態を管理するのが課題だ。伊藤氏は「いわゆるフォールバックレディーユーザー(Fallback ready user:予備対応時利用者)として運転席に座っている人がレセプティブ(対応可能な)な状態であることを担保するのは、とても難しい」と語る。

 また、伊藤氏は、モノを実際に作り込む立場からすると「この意味では、人間が関与しないデザインの方がよほど簡単なはず」とも述べた。これは、ある意味でSAEが提示するレベル3とレベル4の実現難易度を逆転するものとなる。

システムの知性と人間の関与レベルは別の軸で論じる問題

 「レベル3の自動運転」と一口にいっても、その内容はさまざまな意味を含み、多様な概念となる。伊藤氏は、その概念は幾つかのレイヤーに分けられると説明する。走る曲がる止まるをどのように制御するか。複数ある車線のどこを走行し、いつ車線変更するか。時間帯や混雑状況に応じてどのようにルートを選択するか。伊藤氏は、それぞれのレイヤーで考えを整理する必要性を説いた。

 伊藤氏によれば、これまでの自動運転の議論は、車両の制御に関するレイヤーで活発だったという。しかし、このレイヤーでは自動化がほぼ達成されつつあると紹介した。車線の選択やルート設定に関しても、課題はあるもののいずれはある程度自動化される見通しにあると述べた。

 また、人間の存在を必要とするシステムのレベルに関連して、システムが有する知性のレベルと、人間がどこまで関与するかという役割分担は別の問題であり、観点の軸が異なることを訴えた。自動運転における人間の必要性と関与については、混同して語られることが多い。しかし、伊藤氏は「システムにどこまでの知性を持たせるのかいう話と人間にどういう役割を持たせるのかという話は観点が別」との立場をとる。

 自動運転にはレベル1が完全な手動でレベル10が完全な自動を示す「自律性のレベル」という指標もあると紹介した。これは、ある行為を自動化のシステムがどの程度の自律性を持って行うかを表すものだ。自動運転のレベルの概念には、人間の意思決定の他に、どの程度複雑なことをするか、それをどの程度の自律性を持ってやるか、そして人間の関与をどの程度許すかという軸があることになる。そして、この3つの軸の中でいろいろなデザインができることが分かる。

 今後、技術開発が進めば、いずれは完全な自動運転が実現するだろう。しかし、目的地に着くまで人間に一切手を触れさせないシステムと人間が関与したくなったら触れられるシステムの間で、デザインの自由度はあると伊藤氏は語る。

 伊藤氏は、レベル3における自動運転の議論がかみ合わない理由を、このような軸を共有しておらず、お互いがイメージしている方向がバラバラなためだと訴えた。講演の最後、伊藤氏はレベル3の自動運転システムが完全に手動に戻るロジックについて触れ、健常者だけではなく、障害のある人にも使えるようにするための方向性を示した。そして「レベル3のこういうシステムを目指して行こうという共通の目標を持てると良いと私は思っている」と述べ、講演を終えた。

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