我が国で交流電化が実用化されてから70年近くたつ。JRグループでは新幹線を中心に、在来線の東北、北海道、九州など、私鉄でも交流電化されたところがある。しかし、交流電化はデメリットが徐々に発生し、今や「岐路に立たされた」と言っても過言ではない。
国鉄(公共企業体、日本国有鉄道。現在のJRグループ)は1953年8月、交流電化委員会が発足し、交流電化の研究を始めた。国鉄は非電化エリアが多く、今後、電化エリアを広げるにしても、鉄道省時代の1925年から続く直流電化のままでは2つの課題があった。
1つ目は約10キロ間隔で変電所を設ける必要があること、2つ目は架線電圧。最大3000ボルト(注:日本では最大1500ボルトが限度)が限界で、なおかつ電圧が低いことから、大電流を送る必要があることだ。
一方、交流電化はハンガリー、ドイツ、フランスで実用化されていた。特にフランスは1951年に世界で初めて商用周波数による交流電化を実用化し、優れた成果をあげていた。
交流電化のメリットは20000ボルトの場合、約30キロ間隔で変電所が設置できること、饋電線(きでんせん)を含めた電車線の銅断面積を約5分の1に減らせるなど、コストの削減ができる。
ただ、電車、電気機関車には高圧の交流電力を低圧の直流に変換するため、変圧器と整流器を搭載しなければならず、製造費が高価である。さらに既設の直流電化との接続が必須になる。このほか、通信誘導障害が発生する恐れがあること、商用周波数が東日本エリアでは50ヘルツ、西日本エリアでは60ヘルツと異なるなどの課題があった。
1954年6月、交流電化の試験を仙山線仙台―作並間で実施することが決定した。当時、仙山線の仙台―山寺間は直流電化、山寺―羽前千歳間は非電化だった。
実用化に向けた試験は8月2・3日(月・火曜日)に横浜線で開始され、まずは通信誘導に関する予備的実験を行なう。その結果を基に舞台を仙山線に変え、11月から1955年8月2日(火曜日)まで通信誘導障害機構の根本的な究明、電気機関車の走行前に人工故障試験をして事故発生の対応、地上設備にどのような影響を及ぼすかなどを調査した。
国鉄は初の交流車両として、交流20000ボルト、周波数50ヘルツに対応した電気機関車のED44形が7月に登場。8月10日(水曜日)、ついに試運転が開始され、10月28日(金曜日)まで続いた。
その後、作並に直流1500ボルトと交流20000ボルトの相互乗り入れ設備を仮設することになった。可能な限り簡便で安全性が高いものにするため、遠方操作電源切り換えスイッチに連動する信号機及び、入換標識と直結して、切り換えることになった。これは世界初の試みである。
直流1500ボルトと交流20000ボルトの相互乗り入れ試験は、11月14日(月曜日)から1956年5月31日(木曜日)まで実施。期間中、研究や改良を重ね、6月1日(金曜日)から試験使用を開始した。
その後、交流電化の実用化を確実なものにすべく、6月21日(木曜日)から1957年3月12日(火曜日)まで通信誘導雑音試験を行ない、その問題を解明した。
1956年、交流電化に向けての研究、実用化を進めているさなか、北陸本線田村―敦賀間の交流電化が決まる。沿線に住居が増えたことによる通勤・通学客の増加、化学工業の発展もあり、旅客、貨物の両面で電化が急務だった。併せて、木ノ本―敦賀間を新線に切り換え、輸送力増強を図る。架線電圧は20000ボルト、周波数は世界初の60ヘルツである。
交流電化の工事には紆余曲折があったものの、1957年10月1日(火曜日)に電化開業した。当時、米原―田村間は非電化のままなので、客車列車、貨物列車については、蒸気機関車が牽引することになった。
懸案だった米原―田村間は1962年12月28日(金曜日)に電化。米原―坂田間は直流電化、坂田―田村間は途中にデッドセクションを設け、そこを境に直流電化と交流電化に分けた。当時、米原―田村間の客車列車、貨物列車の牽引は蒸気機関車のままだったが、のちにディーゼル機関車へ。さらに交直流対応の電気機関車が台頭すると、田村は“拠点”から“純粋な通過駅”に変貌した。
交流電化は北陸本線の大半、東北、北海道、九州に広がったほか、関東地方でも東北本線の黒磯以北、常磐線取手以北にも採り入れた。常磐線の場合、茨城県石岡市に気象庁の地磁気観測所があり、直流電化のままだと自然の地磁気に影響を及ぼす可能性があるためだ。
仙山線、北陸本線で培われた交流電化の技術は、1964年10月1日(木曜日)に開業した東海道新幹線にも採り入れられた。当時、最高速度210km/hという超高速のため、架線電圧を25000ボルトに引き上げた。ところが富士川を境に電源周波数が異なる課題に直面する。当時、50ヘルツと60ヘルツの両方に対応できる車両が存在していなかったのだ。
国鉄は解決策として、富士川以東に周波数変換変電所を設けた。電力事業者から受電した50ヘルツを60ヘルツに変換して、架線に送電した。
同様の事象は北陸新幹線軽井沢―佐久平間(JR東日本エリア)、上越妙高―糸魚川間(JR西日本エリア)、糸魚川―黒部宇奈月温泉間(JR西日本エリア)でも発生したが、技術の進歩により、50ヘルツと60ヘルツの両方に対応できる車両の導入、電源周波数の境界に饋電区分所を設けた。
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