MRJは型式証明の取得の遅れにより納入時期が何度も後ろ倒しとなっている。民間航空機産業に後発として参入する中で出てきた課題は何か。また、この参入は日本の製造業においてどのような意味を持つのか。世界の航空機開発の動向に詳しい東京大学 教授の鈴木真二氏らに話を聞いた。
三菱航空機が開発、三菱重工業が製造するリージョナルジェット「MRJ」は、米ワシントン州モーゼスレイクフライトテストセンターにおいて型式証明の取得に向けた試験の真っ最中だ。現在、最初の顧客である全日本空輸(ANA)への納入は2020年半ばの予定となっている。MRJの納入は当初の予定より何度も延期されている。その理由は、型式証明の取得に向けた作業が思いのほかスムーズに進んでいないことが大きい。
航空機を運航する場合、所有者は1機ごとに、登録国において「耐空証明」を取得する必要がある。耐空証明とは航空機の安全性や環境性能(騒音や排気ガス)を保証するもので、自動車でいう車検に当たるものだ。ただし同じモデル(型式)の航空機であれば、耐空検査の一部は共通になる。そこで検査の効率化のために設けられているのが型式証明と呼ばれる制度だ。
型式証明は、航空機が製造される国において製造者によってあらかじめ取得されている必要があり、さらには使用する国の証明も必要となる。型式証明の内容は国連の専門機関である国際民間航空機関(ICAO)のルールをベースとして国ごとに決められているが、2大航空機メーカーであるボーイングとエアバスが本社を置く米国の連邦航空局(FAA)と欧州の航空安全庁(EASA)のものが、事実上の世界標準となっている。そのためMRJの型式証明の審査は、製造国の当局である国土交通省航空局により行われるが、輸出先での使用のため、FAA、EASAも参加して進められている。
型式証明の審査内容は飛行特性だけではなく、構造強度、装備品と呼ばれる各部品の安全性と環境性能からなる。これらの審査は航空機が完成した後だけでなく、設計、製造の段階から進められる。設計者および製造者は、図面や試験データ、解析データを示してこれらの性能を証明する必要がある。
MRJが型式証明を取得する際にはさまざまな問題が出てきたが、大きなものとしては「審査が非常に複雑で、経験者の協力を得なければ対応が難しいと分かったこと。使用実績のある部品に対する考え方が変わってきたこと。また途中で新たに審査項目が加わったことがあります」と東京大学大学院 工学系研究科 航空宇宙工学専攻の教授である鈴木真二氏はいう。
航空機の部品数は100万点にもなり、チェック項目も膨大になる。審査は設計と同時にスタートし、複数の項目が並行して行われる。基準に適合しないことが分かれば設計変更を行うが、直接対象となる部分以外にも変更が及ぶことが一般的である。
また型式証明の審査といっても、具体的な検査手順や数値基準が示されているケースは少ない。例えば「安全に脱出できるような設備を有すること」「燃料タンク内の難燃化または発火防止手段を講じること」のように、証明方法が具体的ではない場合が多い。国内では解釈や細則が決められているが、新技術などについては国と製造業者が協議しながら証明方法を決めていくことになり時間もかかる。
さらに、日本には民間航空機開発の全機開発経験がほぼないため、今までFAAなどの証明方法を検討する場に本格的に参加することができなかった。そのため型式証明の全貌を把握することが非常に困難になっている。ルール作りに参加できていない場合、その試験に何とかして対処するしかない。また型式証明は技術的な制度である一方で、各国が有利になるように取り決めることもあるという。また、世界を飛行する航空機には、自国にはない気候や試験設備などを用いた試験などが義務付けられることもある。
型式証明の取得に対する経験不足を痛感したことから、三菱は海外メーカーでの開発経験者を多く登用した。欧米でも、計画通り開発を進めるためには能力のあるフリーの技術者を一時的に雇用し、多国籍の開発チームを構成するという。ただし後述のように、航空機のような複雑なシステムの設計開発には、仕事を進める際の厳密な明文化が必須となる。日本では文書化するのではなくあうんの呼吸ですり合わせにより進めていく傾向が強い。多国籍の開発チームでも開発を確実に進めるためには、何事についても文書化するなど、これまでの開発方式を改める苦労が伴うのだ。
また、「型式証明の審査自体も厳しくなる傾向にある」(鈴木氏)という。重大な航空機事故が発生すると、その原因究明がなされ、その対策として新たな設計要求が課される。また以前から使われ、安全性は証明済みだと見なされていた部品に対しても、部品の置かれる場所が異なる場合には、新たに搭載するモデルごとに厳密な証明が必要だという流れになりつつあり、改めて解析や試験などの対応が必要になった項目もあるという。
また開発期間中に項目が変更され続けると、いつまでたっても審査が終わらないため、型式証明書の申請から5年間は新規項目の適用が免除される。だがMRJは型式証明の取得に手間取っており、型式証明の審査を申請した2007年10月から5年を超えてしまった。そのため「燃料タンク内の難燃化または発火防止手段を講じること」のような項目が追加された。また2017年1月の延期の理由の1つとして発表された配線の変更も追加項目に関係する。実際には、新規項目は発効前から議論されているため想定されていたことではあるが、開発の遅れによって審査が複雑になることは間違いない。
このような型式証明を巡る問題が明らかになってきているが、一方で航空機産業を育てるという将来に向けた取り組みについても議論が始まっている。その1つが、ニーズとシーズをマッチングさせる場の必要性だ。大学、公的研究機関や中小企業にある優れた技術と、完成機メーカーが必要とする技術をお互いに知る仕組みが今はないという。エアバスやボーイングは、中小企業や大学・公的研究機関の技術や人材に対して積極的に結び付きを強めている。実際に日本企業の技術を海外メーカーが先に見つけて独占使用契約を結ぶといった例もある。
またニーズを示す側は、乗客や操縦士だけでなく、整備士や管制官、航空局など多岐にわたる。このように多くの関係者からのニーズをうまくくみ上げるような仕組み作りも課題になるという。
現在、主要な民間機のメーカーはボーイング、エアバス、ボンバルディア、エンブラエルの4社になる。これらの関係者が口をそろえて言うのが「産学の一貫した取り組みは不可欠」ということだという。ブラジルのエンブラエルは国が主導して戦略的に完成機事業に取り組んできた。初期の航空機がヒットする中で、航空技術者の不足が課題になったという。そこで産学が一体となって人材育成プログラムを作り、計画的に人材を輩出するようにした。航空機づくりはチームプレーになるため、技術面だけでなく、マネジメントやコミュケーション能力など対人面も重視した育成を行っているとのことだ。
エアバスの本社があるフランスでも、航空宇宙専門教育機関が産業界のニーズにダイレクトに応える教育プログラムを開発、実施している。「エアラインを新たに立ち上げるのでそれに必要な教育プログラム」などにも応えるという。
またボンバルディアのあるカナダは古くから航空機産業が地域産業として定着しており、この点で日本の参考になると考えられる。カナダでは完成機メーカーと地元企業との共同研究や、大学と地元企業との定期的なプロジェクトマッチングも行っている。なお、どの国においても、産業界と教育・研究機関それぞれの方針を踏まえながら歩調をそろえるのはかなり苦労してきているということだ。
今後の旅客機設計を行っていく上で特に課題になりそうなのが、ソフトウェアの認証だという。日本では自衛隊機の開発は行われているものの、民間旅客機向けソフトウェアの開発経験が皆無に近い状況だ。時間がたつにしたがって劣化し故障するハードウェアとは違い、ソフトウェアは作った時点でバグが潜在している可能性があり、品質管理の方法がまったく異なる。現状はほとんどの装備系統で海外製ソフトウェアを使用し、海外の認証アドバイザーを頼らなければ型式証明を通すことができない状況となっている。国内で十分な対応ができるようになるまでにはかなりの時間がかかるという。
製品が航空機のように複雑になると、機体全体として求められる機能を実現するために、要求される機能を要素ごとのサブシステムに割り付け、さらに細分化して、設計可能な部品単位での機能に落とし込む必要がある。そして部品を組み上げていく場合には、サブシステムごとに機能が実現できているかを確認していかなければ、全体の機能の達成が困難になる。
小規模の製品であればプロジェクトマネジャ1人で全体像を把握できるが、非常に多くの要素からなる航空機では不可能だ。そのためMRJでは、システムエンジニアリングのV字プロセスによる設計開発手法を取り入れている。V字プロセスでは要求される機能を設計から製造、試験までのプロセスにおいて細分化し、設計開発計画を立てるとともに、検証する方法を事前に準備する。これにより、型式証明における要求項目とそれに関係するコンポーネントとの関係が明確になり、また新しい要求項目があった場合でも、見直す設計範囲を最小限に済ませることができる。
このことは、V字プロセスが、航空機の運航開始後や次の機体開発にこそ有用になることも意味している。すなわち、運航開始後に万が一問題が生じた場合、機能の割り付けが明確になっているため、迅速な問題解明が可能となる。また、次の機体開発では、既に証明された設計に関しては簡単に応用できるため、開発期間を短縮することが可能となる。ソフトウェアに起因する事故が増えるなど品質管理の強化が課題となっている昨今、膨大な部品からなる航空機におけるV字プロセスの取り組みを成功させることは、他産業への技術波及効果という点でも大きな意味があると考えられる。
東京大学 総括プロジェクト機構 航空イノベーション総括寄付講座の特任教授である渋武容氏は「日本では物や人の行き来に航空機が不可欠です。今は陸海空の輸送手段のうち1つだけ国産ではありませんが、その状況が当たり前だと思われています。ですが自国での利用を前提とした開発、日本語での購入やサポートが行えることは、乗客やエアラインにとって大きなメリットになるはずです」と話す。
また航空機産業に限らないが、完成機を作る方が部品のみを手掛けるよりも付加価値は高い。ブラジルは完成機事業に絞って航空機産業に参入しており、実は国内のティア1(1次下請け)サプライヤーはほとんどいない。「完成機事業をやらなければ、航空機産業に参入する意味がない」というのがブラジルの考えだという。
また渋武氏は、「完成機事業を手掛けることは、国際的に通用する型式証明技術を獲得することであり、これがなければボーイングやエアバスといった完成機メーカーの下請けのような立場でしか航空機産業が生きる道はありません。そして完成機事業を継続することは、型式証明のルールを決める国際的なグループに本格的に参入する道が開けるということでもあります」と述べる。
一方、完成機事業はどの国においても開始から投資回収までに数十年を要する場合がほとんどである。企業トップが何代も変わる長さであることから、駅伝にも例えられる。完成機事業をうまく育てていくためには、基本となる機体の投資回収が終わる前に、派生機や次世代機の開発を進めることが必須になる。また開発自体は企業の活動だが、一企業だけで試験設備や人材養成などのさまざまな課題に対応するのは不可能だ。そのため各国が実施しているように、国や自治体をあげてのサポート体制が欠かせない。
民間機産業への参入は息の長い取り組みだ。大きな山場であった飛行試験はすでにスタートしているものの、型式証明の取得までにはなお困難が予想される。また証明の取得はゴールではなくスタート地点ともいえる。完成機メーカーに必要な知見が蓄積されて次世代機の開発に引き継がれるとともに、複雑かつ高い安全性が求められるシステムの設計開発手法が他産業に新たな好影響をもたらすことを期待したい。
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