「Kinect」のような深度センサーや「HoloLens」といった、現在普及し始めた機器と同じような能力のモノが、過去に全く存在しなかったわけではありません。重要なのは、過去の研究用や軍用として少数作られていた時代の機器と比べ、100分の1以下の価格になったことです。
Kinectのような奥行き形状をリアルタイム取得するセンサーはかつて数百万円していました。HoloLensのような自然な3次元表示を実現するディスプレイについても、類似の技術としては戦闘機のヘルメット用の機器があり、数千万円しました。
Windows Holographic規格である399ドル(約4万円)のHMDは、従来の400万円した研究用HMDの100分の1くらいの価格です。100分の1の価格というのは、従来品の製造規模を拡大する量産効果だけでは達成できない水準であり、それを実現するために何らかの破壊的革新が必要です。
VR HMDも、ついにその破壊的革新の領域に突入したと判断できます。こうなると先行2社以外にも、市場に参入企業が増えることになりそうです。Kinectのような深度センサーほど製造技術上のハードルは高くないため、非常に多数の会社が製造するDOS/V PCのような、“あって当たり前の存在”になっていき、それを前提にVRを利用するソフトウェアも拡大していくことになるでしょう。
3D CADでも、これまで3Dマウスや3Dディスプレイなど、平面ディスプレイとマウスという制約を越えようとする試みがありました。しかし、あくまで個別の専用製品だったため、業界標準と呼べるほどに広がりませんでした。
VRがWindows Holographicによって、事実上“OSの標準機能”と見なせるようになると、平面ディスプレイやマウスと同じレベルで、搭載されていて当然のものとみなすことができるようになります。3D CADやCAEなど、3Dデータを表示するものは全て対応していくのが当然になるのは時間の問題でしょう。
一方で、UNIXワークステーション上で動く古いタイプの製造業向け3Dソフトについては、単純に最新のWindowsに対応させるだけでは、VR化の恩恵を受けることができないといったことも考えられます。
特に、古くからあって独自の3Dグラフィックエンジンを使用している一部の3Dソフトでは、OS標準の3Dライブラリに3D頂点データを出力せずに独自で最終的な平面化グラフィックスを描画しているため、Windows OSのVR対応による表示の立体化ができず、ソフトウェアに合わせてVR表示を行う必要が生じてきます。
しかし、そのような個別対応は実際にほとんど不可能でしょう。その結果、数年のうちには業界再編につながる動きもあり得るかもしれません。
VRの大きな特徴は、立体視によって定義された寸法通りの3D形状を見て体感することが可能であることです。
平面ディスプレイに表示されていた時代の3Dデータは、形状を把握することはできても、大きさの情報は見た目からではなく、数値情報の補助で類推するしかありませんでした。
これまで3D形状データには「平面ディスプレイ上で向きを変えながら形状を把握する」「数値制御加工で金型を製造するための元データになる」「3Dプリントして原寸模型や縮小模型を作成する」という用途がありましたが、ここに「原寸でそのまま見る」という用途が加わります。
前の3つの用途は、実は機器やソフトウェアの導入以外にも、多かれ少なかれ訓練や追加費用や時間などが必要でしたが、VRで見ること自体は機器さえあれば前の3つに比べると圧倒的に少ない時間で、繰り返しの場合の追加費用がほとんどかからずに実現できます。
3D形状データは「金型を製造するための元データになる」と説明しましたが、これまで鉄板の溶接など、製品の製造方法によっては3D形状データがあってもほとんど意味がないものがあったのも事実です。しかし、「原寸でそのまま見る」ことができるのであれば事情が異なってきます。全く3Dデータを活用する余地がない製造方法の製品においても、設計の段階で3Dデータを作成する価値が出てきます。
製造業の中で、3Dを使う頻度が少ない部署の1つに「外観(意匠)デザイン」があります。外観デザイナーは「Adobe Illustrator」などの2次元の作画ソフトを使って、3Dモデリング担当がその2次元曲線をデザイン用CADで3D化するという分業が行われているのが主流です。
それがVRの登場により、デザインの作業の最初から3Dを使うメリットが圧倒的に大きくなります。VRで確認しながらの作業が可能になるからです。
デザインを完全に3D統合する会社と、2次元作画と3Dモデリング担当の分業を続ける会社との間で、その生産性と完成度は大きく差がついていくことになるでしょう。
Windows Holographicのような標準的なVR利用環境の普及とともに、産業用のVR対応ソフトウェアは拡大していきます。一方で、ある段階で「ユーザーがすぐに思い付く、単純に思える機能の実現こそが、技術的、性能的には非常に難しい」という壁に次々ぶつかることになると予想されます。その詳細は本連載の次回以降で触れていきます。
また、VRという新たな用途が登場したことで、これまで設計用3Dデータには要求されなかったことが要求されるようになり、従来は設計用3Dデータを元にして、プロモーション動画を作る段階で行われていたようなデザインロゴや塗装表現などのテキスタイルの付加を設計モデル段階で要求されるようになるという混乱も起こり得ます。そのような問題について、3D CADベンダー側の対策も進んでくるだろうと考えられます。
現時点では、3D CADの種類に依存しない3Dデータのアニメーションデータファイルの規格が存在しません。それで3D CADのデータのVRでの活用が制限されている現状ですが、今後はVRの普及の進行とともにその問題が解決されていくでしょう。
早稲田 治慶(わせだ はるみち)
長野県岡谷市在住の3D設計者。日本で恐らく唯一の製造業VRエヴァンジェリスト。ローランド ディー.ジー.株式会社にて3D CADでの小型CNC切削加工機設計、CAM開発プログラミング、加工機の補正システム開発などの勤務経験を経て、2012年に株式会社プロノハーツに入社。ニコニコ超会議に出展した「ミクミク握手」、産業用3Dプリンタ、「いいね玉」の開発などの後、製造業VRシステムpronoDRのプロトタイプを開発。その後も製造業VRの新技術開発に従事し、CAM講習講師、鳥取県CMXプロジェクトでハイブリッド金属 3D プリンタLUMEXの運用を担った経歴も持つ。さまざまな方式の3Dスキャン技術にも通じ、吉本興業所属タレントのYouTubeチャンネル企画にも3Dスキャンで協力している
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