「凍結鋳造の最初の難関は、まず社内の稟議を通すことだった」と松元さんはいう。上司も昔からいる職人も「そんなことができるわけがない」と新技術に対して懐疑的だった。自分の言葉だけでは説得が難しいため、懇意にしている大学の教授や公設試験研究機関の協力でデータをそろえたり、自社で実験をしたり、さらには前川製作所へ職人や上司を連れて見学にもいったそうだ。
さらに技術的な課題もあった。砂と水の適切な割合、水を含んだ砂型を均等に凍らせるノウハウ、常温と冷凍を繰り返すため木型がすぐに傷んでしまう、冷凍設備のメンテナンス……こうした1つ1つの課題をクリアし、凍結鋳型鋳造システムを実用化するまでには2年かかったという。
専門の研究所を持たない町工場が、凍結鋳型鋳造システムという世界初の技術の実用化にチャレンジしたことに驚く人は多いだろう。しかし松元さんに話を伺うと、こうした新技術に挑戦する社風は、三共合金が創業した当時から持っていたものだと分かる。
同社は、昭和19年に銅合金の鋳造で創業し、昭和25年に鋳鉄、昭和61年に鋳鋼と扱う鋼種を増やしてきた。実はこのように複数の金属を扱う鋳物工場は珍しいそうだ。職人気質というのだろうか、熟練した技術にこだわり、変化を嫌う鋳物工場も多かったという。
「鋳物は、鉄くずを溶かして固めて作ります。独自の技術がなければ単に“キロいくら”の取引になってしまい、利益にならない」と松元さんはいう。だからこそ従来から「三共合金でなければできない」という独自技術が必要だと考えてきた。
同社が鋳物を納める先は、常にコストダウン、生産効率向上などの競争にさらされる製造装置メーカーだ。システムの中の一部品の製品寿命が従来の1カ月から3カ月に延びれば、他の部品も同様に伸びることを期待される。製造ラインの部品寿命は、操業条件を左右するからだ。
そのためクライアントから寄せられる「すり減っては困る」「割れては困る」「部品の寿命を延ばしてほしい」という日々ハードルが上がる要求に対し、同社はオリジナル配合の合金開発で対応してきた。最近でこそ、産官学連携のモノ作りが当たり前になったが、三共合金は40〜50年前から大学や公設試験研究機関と協力し、新技術の開発に取り組んできた。
その集大成が、京都大学と共同開発した新素材「KSハード(バナジウム球状炭化物材料)」だ。
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