しかし、そのスタンスはスタンスとして、要求される性能要件が高度化していく中、解析の活用は急速に拡大しているのは間違いない。特に流体、構造、磁場といった解析のうち、流体と構造については、いまや完全に設計業務の流れの中に取り込まれ、日常的に使われるようになっている。さらにこれらの連成解析など、より高度な技術も徐々に使われ始めているという。
「連成解析を要求するような設計対象はまだそれほど多くありませんが、中にはいわゆるマルチフィジックスなどを必要とするような高度に複雑かつ要求精度の高い案件も出てきました。例えば、原子炉の放射性廃棄物を処理するガラス固化溶融炉などがそうですね」。ガラス固化溶融炉とは、簡単にいえば、巨大なルツボに放射性廃棄物を入れてガラスを混ぜ、溶かすための炉である。そこでは熱や流体はもちろん、放射能に関連する現象やガラスの化学現象といった多様な現象が、すべて1つの容器の中で発生する。このような複雑な要素が絡みあう現象を精密に解析するには、マルチフィジックスのような最先端の解析技術が必要になるのだ。
「物理や化学の領域を解析に取り入れていくとまた一段と難しさのハードルが上がります。そこでこのガラス固化溶融炉の解析も、基盤技術研究所が解析手法のベースを作り、時間をかけて手法の検証や高度化を行います。この原子力関連や航空宇宙本部では、平均でも数百万セルの解析が日常的に行われ、他の製品では数千万セル規模の大規模解析にもトライし始めています。そうなるとやはり、どうしても基盤技術研究所の出番も多くなっていますね」(笠氏)。
このような高度な解析技術は、よりマクロな視点で笠氏らが取り組む新たな設計手法の開発にも応用されている。いわば3次元モデルを中核においたモノづくりプロセスである。従来のスタイルは、CAD、CAEで解析・評価を行い、修正を加えて、また設計し直すイタレーションによる“ループ型設計手法”で、いわば考えながら計算し設計して、ダメならやり直すというものだった。非常に時間がかかるのはもちろん、いつ終わるかも分からないやり方だった。これと正反対のアプローチなのが、呉氏らが提案する“セットベース型設計手法”である。
「つまりイタレーションは一切なしで、最初に“考えられる条件”で設計解を全部計算してしまうやり方です。これによって設計解の全体集合を作り、要求が出てきたところで,フィルタリングと呼んでいる条件抽出を行い、バランスの取れた解集合を導き出すんですね。これをチューニングして最終設計解を導くわけです」(呉氏)。まさにスーパーコンピューティングのパワーをフルに生かした“見通しの良い”設計手法といえるだろう。さらに呉氏らはこの考え方に、製品開発に必要な要素試験を導くリスクマネジメントプロセスを統合し、「TDM(Total Design Management)」の構想も推進している。当然、解析の活用手法についても、現状のそれが完成形だとは思っておらず、そこにはまだまだ多くの課題があると考えているのである。
「現状、当社の解析が求められているのは、さらなるスピードアップと低コスト化です。そのための人材育成と運用スタイルの洗練が一番の課題となりますね。特に“誰が解析をやるのか”は重要な問題です。設計者でいいのか、専門部隊に任せきるべきなのか、あるいはもっと上流の開発部門が担うべきなのか……現在も定まっているとはいえません。たしかに解析を使って設計を進める製品ほど設計部門が担うようになってはいますが、解析の利用が質量ともに拡大していけば、それ自体の品質保証という難しい課題も出てきます。これを誰が主体的に担っていくかは、さらに考えていく必要があるでしょう」(笠氏)。
このように、解析利用の実績では業界をリードしているIHIでも、実務における運用ではまだ試行が続いている。それだけに、両氏は解析の導入と活用には一定の準備と覚悟が必要だ、と考えており、これに対するむやみな期待や安易な導入計画には警鐘を鳴らす。
「CAEをやればどこの企業でも利益が出せる、というものではないでしょう。先のケースのように豊富なエンジニアリングに対する知見を蓄積している会社の場合、モノづくりで、CAEを使う必要がそれほどあるのかどうか……。機械工学便覧などのデータベースで対応できるなら、決して安くないコストや手間をかけるのは考えものです」(呉氏)。
さらにどうしても解析を使う必要がある場合でも、ツールを自社で導入しなければならないとは限らない。例えば必要になるのが年に1度のことなら、専門業者に委託した方が合理的かもしれないのだ。いずれにせよ、興味本位で解析を導入し、設計で活用できてしまうほど、解析は低いハードルではないと呉氏はいう。しかし、他方では“解析で何ができるのか”が十分理解できていないため“自社の課題を解析でクリアできるのか”判断できないケースも多いようだ。そこで笠氏は“解析のプロたち”の活用を勧める。
「自分の抱えている課題を解析でクリアできるのか、まず解析のプロに見極めてもらうといいと思いますね。そうすることで解析が何の役に立つものなのかが理解でき、自社でやるべきか外部に委託するべきかも見えてくるはずです。こうしたコンサルテーションは、例えばCAE製品を扱っているベンダや商社に依頼できますし、産業界でも利用できるオープンソースの解析ソフトを開発しておられる大学の先生方とも、共同研究などの手段が取れます」(笠氏)。また、そんな余裕がない場合は、Webなどで事例を探して研究することも必要になるだろう。
「解析の大系を全部ゼロから学ぶのは現実的ではありません。ですから、同じような業種・規模の企業で、同じような悩みを持った会社がCAEを使って解決したという成功事例を探すんです。最近はCAE製品ページなどWeb上で詳細まで公開されているのでこれらを読んだり、ベンダのセミナーを利用したりしていけば、きっと最初のハードルは越えられるでしょう」という呉氏の言葉に、笠氏もうなずく。「最初のハードルさえポンと超えてしまえば、後はどれだけ技術を蓄積できるか。とにかく、どんな形でもやっていけば、得られることは多いはずです。本気でチャレンジしようという方には、ぜひ頑張ってほしいですし、われわれも同じ企業人としてスパコン協議会といった連携の場を持ち、さまざまな団体との交流・協同を始めています。こうしたWebの媒体も使わせていただきながら、横のつながりを広げていきましょう」(笠氏)。
柳井 完司(やない かんじ)
1958年生まれ。コピーライター、ライター。建築・製造系のCAD、CG関連の記事を中心に執筆する(雑誌『建築知識』『My home+』(ともにエクスナレッジ社)など)。
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