交渉で通らなかった値上げの分のコストは、損益計算書の上で静かに粗利を削ります。その影響は、決算書より先に、機械の更新や採用を見送るという投資の順番に現れます。コストをのむことは、単に利益が減ることではなく、未来に回すはずだった原資を、今の取引の維持に使ってしまうことと同義です。経営側は利益を守ろうとしますから、のんだコストは社内で誰かの目標として変換されます。「この案件は、この原価に収めてくれ」という目標が発生するのは、受注単価が動かせない以上、締める場所は原価しかないからです。
これは案件別の原価管理をやっていない会社の話ではありません。むしろ逆で、目標原価を立て、月次で案件別損益を締め、会議で確認しているといった、管理に真面目な会社ほどこれから説明する“型”にはまります。仕組みが無いからゆがむのではなく、仕組みに入るデータが案分だからゆがみます。誰かの不正の話でもありません。登場するのは、目標を守ろうと知恵を絞る真面目な中間管理職だけです。
案件別の原価のうち、材料費と外注費は伝票が残るのでゆがみにくいです。調整の余地があるのは労務費、現場の時間を案件に割り付ける工程になります。
月末の事務所を思い浮かべてください。締め日の2日前、製造課長の机に日報の束が積まれます。日報には「タンク作業」「溶接応援」「検査ほか」といった、案件名になっていない記述が並んでいます。これらの内容を生産予定表と自分の記憶で補正しながら、Excelの工数欄を案件ごとに埋めていきます。夕方には経理から催促が来てしまい、最後の数枚は確認を諦めて経験則で工数を配ります。実際にかかった時間が分からない以上、最も説明のつく配り方は、予定に合わせて配ることになるのです。
かくして、かかった時間から原価を積むのではなく、あるべき原価から時間を逆算して各案件の工数を配る運用が生まれます。これらのことから、受注時に立てた目標原価は現場を律する道具であると同時に、月末の数字合わせの正解表になるといえます。つまり「原価は月末に作られる」のです。
長く続いた会社ほど、この付け替えには独自のロジックが育っています。具体的には「機械が回っている時間は段取りより重く見て1.2掛けにする」「誰の時間か迷ったら、その月で一番大きい案件に寄せる」「手待ちや応援は売上比で薄くまく」といった内容です。どれにも一応の理屈があり、担当者は誠実に運用しています。そして係数の根拠を聞かれると「昔からこうです」としか答えられないことも、たいてい共通しています。
また、ゆがみは労務費だけで止まりません。家賃/光熱費/消耗品といった製造経費は、多くの会社で各案件の工数の比率で配賦されます。工数が案分でゆがんでいれば、それを物差しに配られる経費も同じ形にゆがみます。案件別原価の4要素のうち、伝票で守られているのは材料費と外注費の2つだけなのです。
これは“粉飾”となるのでしょうか。帳簿全体は合っています。ゆがんでいるのは案件の間の配分だけで、誰もうそをついたつもりがありません。ただ、経営層が案件別の実態だと思って見ている数字が、実態ではなく配分ロジックの出力であるという1点だけが、動かない事実として残ります。
交渉に持ち込める証拠は、月末の机では作れません。しかし、作り始めるのに大掛かりな仕組みも要りません。最初の一歩は、来週の月曜、現場の1人に「作業を切り替えたら案件名と時刻だけメモしてほしい」と頼んでみることです。金額も評価も要らない、事実だけです。紙でもホワイトボードの隅でも構いません。1週間分を月末の案分と見比べれば、両者がどれだけ違うか、つまり今の帳簿が“どれだけ作文になっているのか”が、自社の数字で分かります。
見比べた先には、次の問いが待っています。正解表に合わせて配られた数字は、現場と経営に何を引き起こすのか。そして、記録を始めた現場が作文に戻らないためには何が要るのか。後編は社内側にフォーカスした内容を説明します。
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