さてそのFLEX 10Kは1995年に発表された。FLEX 8000シリーズの利用可能なゲート数が2500〜1万6000、LABが72〜360だったのに対し、FLEX 10Kシリーズでは利用可能なゲート数が7100〜31万、LABは72〜1520と大幅に拡充された。ここまで拡充できた理由はプロセスの微細化で、FLEX 8000(と1994年に追加されたFLEX 8000A)シリーズは0.8μmを利用していたのに対し、FLEX 10Kでは0.5μm、1996年に追加されたFLEX 10KAでは0.35μmに移行したことで、大幅にトランジスタ密度の向上が可能になった。SRAMベースだからトランジスタの高密度化がそのままゲート数増加につながった格好だ。
加えて大きな変更が行われた。それはRAMブロックの内蔵である。そもそもFLEX 10KではLABに加えて新しくEAB(Embedded Array Block)が追加された(図12)。
EABは1個当たり2Kビットとそれほど大容量ではないが、FLEX 10Kシリーズの場合EABが3〜20個(つまり6K〜40Kビット)のRAMを搭載した格好になる(図13)。これで大きく柔軟性が高まることになった。
LABも若干変更があり、特に出力段がFastTrack向けと他のLAB向けで別に用意されるようになった(図14)。ちなみにFLEX 10Kは5V対応の製品だが、FLEX 10KAは3.3V対応になっているのが最大の違いである(FLEX 10KはLABの数が最大832で、1520 LABの製品はFLEX 10KAで追加された)。
こうしてAlteraは1990年代に、CPLDに加えてFPGAの製品ラインアップをそろえることに成功した。FLEX 8000はまだCPLD的な要素もあったが、FLEX 10KでRAMが加わったことで、もうCPLDというよりは明確にFPGAになったと考えてよいと思う。
こうした積極的な製品展開が功を奏し、1990年に売上高7億8300万米ドル、営業利益1億3400万米ドルだったAlteraの業績は、2000年には売上高137億6800万米ドル、営業利益46億9900万米ドルまで拡大した。1990年代の10年間で売上高が約18倍になったわけだ。
途中、1994年にはIntelのPLDビジネスを買収(連載第4回でも触れたが、当時のIntelはAlteraのCPLD製品をセカンドソース契約に基づき製造/販売していた)した他、日本向けの売上高比率がかなり高い(例えば、2000年に15%、2001年に20%、2002年に21%)こともあって、日本の不況の影響をもろに食らって1992年には売上高が微減するなど単純に増加というわけではないが、それでも確実に製品ポートフォリオを増やしつつ、売上高を大幅に増加させていった。
別の動きとしては、TSMCとの提携もこの時期だった。1996年6月、TSMCとADI(Analog Devices)、ISSI(Integrated Silicon Solution)およびAlteraの4社の合弁により、WaferTech(現TSMC Washington)が設立され、米国ワシントン州カマスに200mmのファブを建設する。これによりAlteraは、それまでのシャープからTSMCに製造委託先を変更することになる。(次回に続く)
中小FPGAベンダー盛衰記――QuickLogicからSilicon BlueそしてまたLatticeへ
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独創的なロジック記憶手法で違いを見せつけたActelはいかにして誕生したのかCopyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
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