独創的なロジック記憶手法で違いを見せつけたActelはいかにして誕生したのかプログラマブルロジック本紀(7)(3/3 ページ)

» 2026年02月02日 06時00分 公開
[大原雄介MONOist]
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突然のCEO交代、インテルへの製造委託はすげなく断られる

 その1989年、創業者にしてCEOを務めていたMohsen氏はActelを去り、Aptixを設立している。そのMohsen氏に代わりCEOに就いたのがJohn East氏である。East氏はその前にはAMDでSVPを務めていたが、同社の事業再編のタイミングでAMDからActelにやってきた。CEO就任は1989年だがActelへの入社は1988年で、当初からCEOになることを取締役会から望まれての入社だったそうなので、早いタイミングでMohsen氏が辞意を表明していたのか、あるいは何らかの理由でMohsen氏の更迭を取締役会が考えていたのかはもはや定かではない。ただそもそも、1986年にEast氏に最初にコンタクトしたのがMohsen氏だった(当時はCOO職の打診だった)そうなので、Mohsen氏は割と早くから離脱を考えて居た可能性もある。

 とにもかくにも、1989年からEast氏が同社を率いることになった。ちなみに1988年時点ではHamdy氏がAntifuse担当、Gamal氏がアーキテクチャ担当、Ayat氏が回路設計担当だったそうだ。そんなEast氏の仕事がファウンドリー探しである。ACT 1010/1020の製造に当たってはDG(Data General)に製造を委託したが、その後DGはFabを閉鎖する。MEC(松下電器)は1年間の交渉の末、MECが日本の代理店になることを条件に製造を受託してくれたが、MECのFabのキャパシティーは一杯だった。並行してTIとの交渉もスタートしたが、一度決裂したのちに再交渉の末、製造受託を受け入れた。結果的にはMECからもTIからも十分な量の生産能力が提供されたが、ただどちらのFabも当時としては先端プロセスとはいえなかった。そこでEast氏はIntelに製造を打診する。

 IntelのAndy Glove氏と面談したEast氏は、最終的にこんな返事をもらった、とSemiWikiで回想している。

I have a large staff of MBAs who came from really impressive schools. They work on these kinds of proposals for us. They're top notch. If you'd like me to, I'll give them your proposal and ask them to study it thoroughly and provide a well-reasoned, written response. That will probably take them a month or so. I'm quite sure their answer will be no. The other option is that I can tell you no right now and save you from having to wait a month. Which way would you like to go on this?

日本語訳

 ウチには一流校出身のMBA取得者が大勢いて、彼らはこういう提案書の作成を担当している。一流の連中だ。もし望むなら、お前の提案書を彼らに渡して徹底的に分析させ、論理的な書面での回答を出させることもできる。おそらく1カ月ほどかかるだろう。彼らの答えはおそらくノーになるだろう。もう一つの選択肢は、今すぐノーと伝え、君に1カ月待たせる手間を省くことだ。どっちが良い?

 まぁそんなわけでActelはIntelに製造を委託することに失敗した。

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