1952年、試作/試験が進行中であったR型新エンジン(1500ccクラス)の生産設備を新設。1953年4月の生産立ち上げを目標に、刈谷工機(豊田工機が戦後の一時期用いた社名)が設計/製造した専用機や治工具を導入した。R型エンジンの開発は設計変更により遅延し、実際には1953年9月の生産開始。
設備近代化5カ年計画の後半では、新型乗用車クラウン(RS型)向けの製造設備の新設が中心となった。1952年12月〜1953年11月、輸入新鋭機が103台、そしてR型エンジン用専用機が図5に示すように43台導入された。
図5はR型のエンジン・シリンダ・ブロック用工作機械ラインを示す。図5(a)はシリンダブロックの上下面削り用ロータリ立型フライス盤(筆者加筆)で、4つのエンジンブロックを回転する工作物台に固定し、それらのブロックの上面を同時に4つの正面フライス工具で効率よく切削加工している。
エンジンは主に、シリンダブロック、シリンダヘッド、クランクシャフト、カムシャフトの4つから構成される。シリンダブロック加工の主な工程は次のようになる。
シリンダボーリング、シリンダブロック上面/下面、スリーブ入れボーリング(スリーブ製作)、シリンダパルホスM処理、L型クランクキャップボルトO/S(オイルステイン)加工、クランクハウジングオイル溝切り加工、メタルノック溝加工、L型ブロック水圧検査、L型ヘッドボルトネジ部ヘリサート強化、L型チェーンガイドO/S加工、オイルクリアランス測定(メタル合わせ)、L型オイルストレーナ加工(F→R)、L型オイルストレーナ加工(R→F)、シリンダ・ホーニング
1952(昭和27)年初め、トヨタ自工の社長として石田退三に代わって豊田喜一郎が復帰することが決まり、同年1月には喜一郎発案の新型乗用車「トヨペット・クラウンRS型乗用車」の開発がスタートした。今回の新型乗用車の計画は、ボディーメーカーへのボディー設計/製作の委託を取りやめ、自社内でのボディー製造/架装により、完成車として出荷する。
トヨペット・クラウンRS型乗用車の完成に向けては、自社内生産技術の確立が必須であった。そのため、豊田英二常務はクルマの開発生産体制の基盤となる、初の主査制度※8)の規範を作り、車体工場次長の中村健也を抜てきして初の主査に就け、本格的純国産乗用車の自主開発を始めた(後述)。
※8)主査制度:トヨタ自工において1953年5月1日に技術部主査室が発足してできた制度。主査は自動車の企画(商品計画、製品企画、販売企画、利益計画など)、開発(工業意匠、設計、試作、評価など)、生産(生産開始)、販売(発売準備、記者発表、店頭発表/販売促進、定期報告)といった各部署に指示をする最適化だけでなくマーケティングやコスト管理、売り上げの結果まで,全ての責任を負う。これにより才能ある人間が商品力が高い(=売れる)自動車を開発できる。元戦闘機設計者であった長谷川龍雄の提案で、航空機開発のチーフデザイナー制が基になっている。ただしその分主査は、才能や人格、幅広い分野の知識などさまざまな面で優れていなければならないため、主査を務められる人材の育成と見極めが重要である。また、主査ごとに自動車に対する思想は異なるため、企業全体で見たときトップの思想/主張とは異なった自動車になることもある。 主査制度は最初から並行して複数案を進めて絞り込んでいく「セットベース開発」、情報共有を円滑にする「A3報告書」と並ぶ「トヨタ流製品開発」(TPD:Toyota Product Development)の代表格で、これらは合わせて「リーン製品開発」として知られる。
1952年1月に大口顧客であるタクシー業界へ聴き取り調査を行い、トヨタ自販の市場調査結果なども参考に、これまでのトラック/シャシーの流用とは全く異なる発想から、当時販売中のSF型小型乗用車を画期的に改良し、床が低くて乗心地が良く、運転性能に優れ、従来の堅牢さを失わず、悪路にも十分耐えるクルマの開発が目標となった。
具体的には、米国風小型規格の上限となる寸法、明るく軽快な感じ、貧弱に見えないクルマで、重量1200kg、タクシー用格安車、1500ccエンジン、リモートコントロールミッション、フロントニーアクション、最高時速100km以上などの条件を満足する乗用車専用シャシーの設計方針を策定した。小型車の寸法規格内で最大の大きさとし、板金試作車4モデルの製作が始まる。
同年同月に、クラウンRSボディー設備会議が開催され、ボディー製造用ジグウェルダー、スポットウェルダーなど溶接機の発注手配を決定し、製品設計と並行してボディー内製用設備の検討を進めた。同月中にまとめられた仕様に基づき、RS型乗用車の設計を開始した。
しかし1952年3月27日、株主総会で社長に復帰が内定しその準備に専念していた創業者の豊田喜一郎が突然死去する。開発陣の落胆は大きかったがRS型乗用車の開発は続行された。
同年3月には試作用図面の作成を終えた。これを受けて、4月4日に豊田英二常務、齋藤尚一常務の連名で図6に示す「RSに関する件」が発せられ、試作車の製作段階に入った。
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