紫外線LEDが水銀なき世界を灯す――ナイトライド・セミコンダクターオンリーワン技術×MONOist転職(6)(1/3 ページ)

日本の“オンリーワンなモノづくり技術”にフォーカスしていく連載の第6回。今回は、世界で初めて紫外線LED量産化に成功、高効率化と低コスト化で水銀ランプを置き換えるまで紫外線LEDを“磨き上げた”ナイトライド・セミコンダクターを紹介する。

» 2016年12月02日 09時00分 公開
[西坂真人MONOist]

 ナイトライド・セミコンダクターは徳島県鳴門市に本社を構える半導体ベンチャーだ。世界で初めて紫外線LED(UV-LED)の量産化に成功。競争が激しい半導体業界で、数少ない国産半導体メーカーとしてその存在感を示している。

photo ナイトライド・セミコンダクター(徳島県鳴門市)

 同社のオンリーワン技術はもちろん紫外線LEDだ。青色LED(450nm前後)よりもさらに波長が短く、人の目で見ることができない380nm以下の発光波長である紫外線LEDは、その応用範囲の広さから青色LEDの次にくるブルーオーシャンとして期待されている。だが、短波長ゆえに開発が難しく、実用レベルの発光効率がなかなか得られなかったという青色LEDと同様の課題を抱えていた。

 紫外線LEDは青色LEDと同じく化学反応によって基板上に薄膜を形成する「MOCVD(Metal Organic Chemical Vapor Deposition:有機金属化学気相成長法)」によって作られる。違いは化学反応に使う材料だ。同社は、日亜化学工業とともに青色LEDの開発に携わった徳島大学の酒井士郎教授が進めていた窒化ガリウム半導体のMOCVD研究を基に設立された。

 「徳島大学は地域密着型のベンチャー・ビジネスの研究開発を推進する文部科学省の事業(サテライト・ベンチャー・ビジネス・ラボラトリー)の予算で窒化物半導体研究所という施設を持っていて、そこで窒化物半導体の研究をずっと行っていた。それを事業化したいという思いが徳島大学側であったが、起業のノウハウがなかったため、徳島での起業を支援する徳島ニュービジネス協議会で事務局長をしていた私に相談がきた」と同社の村本宜彦社長は述懐する。

photo ナイトライド・セミコンダクターの村本宜彦社長

 地元の大手企業に事業化を打診したが、日亜化学工業も含めてどこも関心を示さなかった。「それなら自分が」と一念発起した村本社長が、2000年4月に自ら会社を興すこととなる。法学部出身で「半導体の世界はズブの素人だった」という村本社長が、それでも起業に踏み切ったのは「経緯と資源に注目していた」からだ。

 「日亜化学工業の青色LED開発のキーマンだった酒井教授がいるということ、そして徳島大学が窒化物半導体研究所という高度な研究ができる設備を持っていたことから、それだけの資源を有していればあとは経営リソースがあれば起業できるだろうという漠然とした思惑でスタートした」(村本社長)。

 だが、設立当初から紫外線LEDでの事業に専門家の目は冷ややかだった。村本社長は、のちに青色LEDの研究でノーベル物理学賞を受賞する中村修二氏や、高輝度LED開発のパイオニアで「日本のLEDの父」といわれる東北大学の西澤潤一教授に相談に行くも、開発は容易ではないと忠告された。それほど「紫外線LEDは難しい」というのが業界の常識だった。

 事業化にあたってLED研究の名だたる先人に無理だと言われ、それでもなお村本社長は事業を立ち上げた。

 「人が無理とかできないと言われたことをやることで、ベンチャー成功への確率が高くなる。私が有利だったのは、条件がそろっていたこと。酒井教授という優秀な研究者や研究施設などの環境面もそうだが『誰もやろうとしなかった』というのも条件の1つ。ベンチャー支援事業を通じて、ベンチャーキャピタルのネットワークも持っており、資金面での不安もなかった。全ての条件が整っていた」(村本社長)。

 青色LEDの前例がある徳島の地から登場した半導体ベンチャーにマスコミは飛びつき、同社は世間の注目を集めた。それらが追い風となって資金も順調に集まり、ベンチャーキャピタルから15億円を調達。2001年にはクリーンルームを備えた工場(現本社)を構えるなど、ベンチャーとしては幸先の良いスタートを切った。

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