ISASの科学衛星としては初めてフル冗長構成を採用するなど、高い信頼性を実現したはずの「ひとみ」(ASTRO-H)は打ち上げ1カ月あまりで崩壊した。その原因は「3つの異常」であるが、どのような措置や手段が執られていれば、異常は発生しなかったのか。
高い信頼性を誇ったはずが、打ち上げ1カ月あまりで崩壊したX線天文衛星「ひとみ」(ASTRO-H)。前編では、ひとみに起きた「3つの異常」について説明した。どれか1つだけの発生なら衛星は失われなかったかもしれない。しかし、この3つが重なったため、実際に事故は起きてしまった。事故を防ぐためには、どうなっていればよかったのか。
・「ひとみ」はなぜ失われたのか(前編) 衛星を崩壊に導いた3つのプロセス
最初の異常は、スタートラッカ(STT)の更新が止まったためにバイアス推定値が高止まりし、衛星がゆっくりと回転を始めたことだった。このときの動きをグラフで見ると、STTが4:10頃に出力を開始した直後、バイアス推定値が急に大きくなっていることが分かる。これは異常のようにも見えるが、仕様通りのカルマンフィルタの動作である。
しかし、この一時的に高くなったタイミングでSTTが止まるのは想定外だった。このときのバイアス推定値は21.7度/時。これは3分間ほどで1度を超える角速度である。4:14頃にSTTが再起動したものの、既に慣性基準装置(IRU)の姿勢角推定値との差が1度を超えており、STTの値は棄却され続けることになってしまった。
時間から推測すると、姿勢角推定値の差はギリギリ1度を超えるくらいであったはずだ。もし、もう少しカルマンフィルタのゲインが小さく、山が低くなっていたら、差は1度を超えずに、4:14の時点で収束に向かっていた可能性が高い。
設計段階の審査において、バイアス推定値が一時的に大きくなる問題は認識されていたのだが、検討の結果、修正は不要と判断されたという。では、なぜゲインが大きい設計になっていたのか。それは、ゲインが大きいと、一時的にバイアス推定値が大きくなるものの、より速く収束し、観測時間を長く確保できるからだ。
また、IRUとSTTの姿勢角推定値に1度以上の差があったとき、IRUではなくSTTの方を採用するようになっていれば、衛星の回転を防ぐことができた。しかし、それは「今回のケースに限って言えば」という話で、別の時にはSTTの誤差が大きい場合もある。どういうロジックが良かったのかは、簡単に判断できることではない。
STTが“最悪のタイミング”で止まったのは「運が悪かった」だけなのかというと、そうとも言えない。じつは事故が起きる前に、今回と同じようなSTTの問題が19件も発生していたのだ。
19件のうち15件は、STTの視野に地球が入る「地蝕」が原因だったため、地蝕時にはSTTをスタンバイにしておく対策が取られた。しかし残りの4件は、視野中に明るい星が少なかったせいで起きており、今回もそれが原因だったと考えられている。パラメータ(ピクセル数閾値)を調整する予定だったものの、この時点では未対策だった。
ひとみに搭載されたSTTは、既存のものをベースにした新規開発品であるが、JAXAはこの設計にも問題があったと見る。JAXAは調査報告書の中で、「捕捉の速さや精度に重点をおいて設計され、実際の使用条件を反映したロバスト性の検討や試験計画が十分でなかった」と結論づけた。
前回述べたように、ひとみはISASの科学衛星としては初めて、フル冗長構成の衛星バスを採用していた。STTも2台搭載していたのに、なぜ、異常発生時にもう1台に切り替えなかったのだろうか。
実は事故発生時、上記のパラメータ調整が未完了だったため、STTは1台しか使っていなかった。切り替えたくてもできなかったのだが、もし2台動いていたとしても、切り替えるような設計にはなっていなかった。STTを切り替えると姿勢の微変動が起き、観測に影響してしまう。それを避けるために、冗長になっていなかったのだ。
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