きっかけは居候の若者!? ――町工場発のモノづくり拠点「Garage Sumida」の誕生前夜zenmono通信(4/5 ページ)

» 2016年07月04日 17時00分 公開
[zenmono/MONOist]

Garage Sumidaが生まれたわけ

enmono ここに来られたメーカーさんの何人かが浜野さんのマンションに居候しているとか……?

浜野 ああ(笑)。まぁ……居候というか、インキュベーションみたいな形で……住民票とか取ってずっと住まわれると困るんですけど、いわゆるシェアハウスみたいな形ですよね。

enmono それは何年くらい……?

浜野 これをやりはじめたのが2014年4月16日ですから、まだ1年ちょっと(※)くらいですかね。

※ Webキャスト放送時点

enmono 何人くらい居候していたんですか?

浜野 もうインキュベーションから出てった子もいますけども、一番多い時は6人くらい住んでたり。出てく子もいるし、新しく入ってくる子もいるし、そんな感じでグルグルグルグル。

enmono どうやって知り合うんですか? いきなり居候させてくださいって来るわけじゃないですよね。

浜野 Garage Sumidaの運営はウチの会社が中心になってやってるんですけども、外部の力とか、全然違う目線を入れたいと思ってて、ある子と一緒にやってるんですね。その子が大学3年生の時に自分で起業をして六本木のシェアハウスをやってたんですよ。

enmono 野村岳史さん?

浜野 そうそう野村君、DESIREPATHの。主にIT系のシェアハウスで。だけどある時、大家さんだったか貸し主さんだったか、「家賃を上げたいんですけど」と言われて、みんなに言ったら「なかなかそれは難しい」と、自分もなかなかそれでは払えない。だけどIT屋さんというのは放っといてもそういうのは自主的にやるので、もう1回ちょっと考え直そうといって、僕にあいさつに来たんですよ。その報告をしに。

浜野 彼もフットワークが軽いのであっち行ったりこっち行ったりして、ウチにもちょっと来てあいさつをしてたので昔から知ってたんですね。で、「(IT向けのシェアハウスを)閉じます。今後はモノづくり系のそういうのをやりたいんだ」と。「取りあえず1回出なきゃいけない。引っ越すので」と言うので「どこへ行くんだ?」と聞いたら「南千住」って言うから、「なぜ南千住なの?」って聞いたら、「いや、都内で比較的安い、家賃2万円くらいで共同トイレで、銭湯行ったっていいんです」という話を彼が言ってきたので、「だったらあんた、モノづくりをしたいって言って南千住はないやろと。それおかしいやろと。モノづくりっていったら墨田だと。だったら今ウチのマンションが空いてるから、2万円だったら2万円でいいんで、ウチに来てウチの仕事を手伝えばいろんなところを紹介もしてあげるし、どうだい」って。「え、いいんですか」って彼がウチのマンションに住み始めたんです。それがGarage Sumidaがオープンする半年くらい前かもしれないです。

浜野 で、一緒に住んでいれば……というか一緒にいれば、メシ食ったり話もしたりするじゃないですか。そもそもあなたそういうシェアハウスをやってたんだったら、ここをシェアハウスにしてはどうだろうか、みたいな。で、彼を管理人みたいにして。

浜野 後はロボット作ってたオリィ研究所の子たちもスタートアップでやっぱりそこに住んでたんですよ。で、彼らと野村君が合わさると、変な化学反応というか変な煙が出てくるわけですよ。

浜野 で、面白い人が集まっているから、みんなで自分の友達を1人ずつ連れてきて、飲み会やろうよって言ったんですよ。で、1人ずつ連れてきたら、連れてこられたヤツがまたおかしなヤツで、これ面白いねってFacebookとかで報告をアップしてたら、私も参加したいとか言って色んな人たちが集まってきて、そういう子が自然と入りたいんですけどもと言ってシェアハウスになってるという次第です。

enmono 不思議なご縁ですね。

浜野 そうなんですよ。

enmono 浜野さんご自身も「面白そうだ」という方向へ進んでいくタイプなんですか?

浜野 「面白そうだ」というのもあるんですけど、違う風を入れることで「なんか起きるだろうな」というのがあって。金型だったら金型の専門職の方は中心としていなきゃいけないんですけど、金型屋さんばっかり集めても新しいものってできないんですよ。だから業界とか立場とか年齢とか性別とか国籍だとか、違う人をそこに入れると新しいことができるだろうなっていうことは、なんとなく朧気ながら思ってたので。

浜野 後、もう1つ、面白そうだと思ったからやっただけではなくて、違う業界業種の立場の違った人たちと組むっていうことと、彼らがすごく(強い)志を持っているということです。単純に「モノづくりって面白そうだからやってみよう」じゃなくて、何のためにこれをやるんだっていうちゃんとした志。それが最終的に世の中のためになったり、日本の製造業のためになったり、そういうことをちゃんと考えている子がいて、こういう子たちだったら一緒に何かやりたいなって思いがあったんですよね。

enmono 入れ替わりの期間みたいのはあるんですか?

浜野 その会社さんの次のビジネスがうまくいったり……、例えばオリィ研究所の彼は2014年度の「みんなの夢AWARD」(渡邉美樹氏が主宰)で最優秀賞を取って2000万円賞金をもらったので、元手ができて自分の事務所を構えましょうっていって、今そっちでやってます(退居しました)。けどまあ、年がら年中会うし、モノづくりの部分では協力もしてます。

浜野 彼も自分の幼少期の体験が、なんですよね。小学校の時に身体が弱くて、だいたい2年か3年、病院にずっと入院してたんですって。最初だけは友達とか親御さんとかお見舞いに来たけども、(入院は数日程度でなく)ずーっとだから、なかなか来られない。テレビ見てもゲームやっても面白くないし、ずっと病院の白い天井を見て過ごしていた。その時、唯一面白いと思ったのが折り紙で、ずっと折っていたそうです。

浜野 なんとか中学になって学校へも戻ったんだけど、全然勉強していないんで学力が追い付かない。だけどモノづくりが好きで、奈良県の工業高校に入ったんですね。高校行っても朝から晩まで工作漬けで旋盤回してたって言ってましたけどね。さて卒業してどうしようかなと思ったら、3年の時に早稲田の副総長から連絡があって、早稲田に来いと。車イスの製作でいい評価を得たみたいですね。で、特待生みたいな形で、今、早稲田大学の理工学部の学生なんですよ。

浜野 よくよく考えると、障害や病気があって、親から離されて、隔離されて過ごしている子どもが何万人も日本にいると。僕は医者じゃないので治せないけども、せめてその寂しい心を癒やしてくれるようなロボットを……っていうストーリーがあるんですよね。この前会ったら26歳の従業員を雇ったっていうんですね。その子は4歳の時に交通事故に遭って脊椎を損傷して22年間ずっと寝たきりなんですって。その子がオリィ研究所の社員になって、開発だったり、こういう風にやったらもうちょっと使えるだとか、社員として正規雇用して。だから若いながらも苦労してて、やっぱりそういう志がある。これをフォローしたいよねっていう思いもやっぱりね。まぁいろいろみんなストーリーを持ってて、そういう子たちが今はいますね。

enmono Garage Sumidaをこの間拝見しましたが、場所そのものも素晴らしいオーラを放っていたんですが、この中に入っていらっしゃる方々がそれぞれ魅力的な人が多いのかなと感じました。

浜野 若いながら高い志を持ってますね。

enmono そういう若い人が結構いるというのは、未来につながりますよね。

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