ホンダ社長を退任する伊東孝紳氏の思い出オートモーティブ メルマガ 編集後記

約6年間の任期中は、まさに山あり谷ありでした。

» 2015年03月10日 12時00分 公開
[朴尚洙,MONOist]

 この記事は、2015年3月10日発行の「オートモーティブ メールマガジン」に掲載されたMONOist/EE Times Japan/EDN Japanの編集担当者による編集後記の転載です。


ホンダ社長を退任する伊東孝紳氏の思い出

 2015年2月23日、ホンダの社長を2009年6月から務めてきた伊東孝紳氏が相談役に就任し、新たに常務執行役員の八郷隆弘氏を新社長に選任する内定人事を発表しました(関連記事:ホンダ新社長に2代目「CR-V」開発責任者の八郷氏、伊東氏は相談役に)。

 当日夕刻から、青山一丁目にあるホンダの本社で行われた会見には、多数の報道陣が詰めかけました。2015年の年初から、1モーターハイブリッドシステム「i-DCD」搭載車やタカタ製エアバッグ搭載車の問題の責任をとって近々退任するという報道が連続していたこともあり、退任する伊東氏と、新社長となる八郷氏のコメントに注目が集まりました。

ホンダの社長交代会見にのぞんだ伊東孝紳氏(左)と八郷隆弘氏(右) ホンダの社長交代会見にのぞんだ伊東孝紳氏(左)と八郷隆弘氏(右)

 しかしながら、伊東氏が「リーマンショック後の選択と集中、グローバル6極体制の構築に一区切りついたこともあり、若い世代に引き継ごうと考えた」、八郷氏が「今までの路線を引き継ぎ、さらに進化させる」とコメントした程度で、「無難な会見」という印象でした。

 今回社長退任が決まった伊東氏と初めて会ったのは、2010年10月に「フィット」初のハイブリッドモデルを発表した会見です。そのとき同氏は、最量販モデルであるフィットにハイブリッドモデルを投入できることに、大きな自信を見せていました(関連記事:ホンダの「フィット ハイブリッド」、低速走行時のEV走行比率を向上)。

 ホンダが満を持して2009年4月に投入した2代目「インサイト」は、トヨタ自動車の3代目「プリウス」の価格攻勢に押されており、「フィット ハイブリッド」の投入はその勢いを押しとどめるためのもので、重要な役割を担っていたのです。

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