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「灯籠流し」「奇跡の一本松」を守るための風洞実験風洞実験の現場(後編)(1/2 ページ)

建造物や屋外の設置物の風耐性を調べるには風洞実験が適している。東北大学で行われた実験の中から東日本大震災の復興に関する風洞実験を紹介する。

» 2015年02月25日 09時00分 公開
[加藤まどみMONOist]

 >>風洞実験の現場(前編)

 2011年3月11日に起きた東日本大震災では多くの人が被害を受けた。復興への取り組みは今も続けられている。地震に見舞われた東北大学 流体科学研究所でも、風洞実験などを通して復興活動に関わってきた。その1つが、宮城県名取市で行われている灯籠流しに関する実験だ。

左から灯籠作りに携わったパナソニック 仙台工場の赤間氏、木谷氏、石山氏

 名取市は仙台市の南側に接し、伊達政宗の時代に物資運搬のために作られた貞山堀が海沿いに走る。名取市の北東側に位置する閖上地区は赤貝が名産だ。この閖上地区は、津波による被害を最も受けた地域の1つである。

津波は貞山堀を越えて内部にまで進んだ。仙台東部道路が防波堤となったという

 閖上地区は津波からの避難時の混乱もあり、約5千人の人口に対して754人もの人が亡くなった。市全体の人口7万人に対する885人の死亡・行方不明者数と比べてもその割合は非常に多い。物的被害も大きく、「(今も原発の処理が続く)福島に次いで復興が遅い地域」だと、かつて閖上地区に住んだこともある名取市観光物産協会 理事の佐宗美智代氏はいう。

灯籠流しの実施に取り組んだ佐宗美智代氏

 閖上地区は震災で大きな被害を受け、観光物産協会のあらゆるイベントも中止になった。それでも毎年行われていた慰霊の灯籠流しだけは復活させたいと佐宗氏らは考えた。そこで「なとり観光復興プロジェクト」を立ち上げ、各方面に働きかけて2011年8月に灯籠流しを行った。だがこの灯籠流しは満足のいくものではなかったという。以前は自分の灯籠を自分の手で名取川に流していたが、震災後は安全面から許可が出ず、スタッフが流すことになったからだ。「どうしても自分の手で流したい人たちの希望を叶えられず、別の方法を考えなければと思いました」(佐宗氏)。そこで佐宗氏らは、津波の来た当時、多くの人が目指しながら途中で津波に飲まれた閖上夕学校までの道に灯籠を並べ、光の道を作ることにしたという。

 こうして2012年は陸上で絵灯籠を並べることになった。だが2012年は雨、2013年は強風が吹いた。そのため紙製の灯籠では耐えられず、規模を縮小せざるをえなかったという。特にこの地域では、冬と春になる前はとても強い風が吹くという。2013年は午前中から5000個もの灯籠を道沿いに並べて準備したものの強風が吹いた。ボランティア総出でガムテープで固定したものの、4000個以上が壊れてしまい「本当に悔しい思いをした」(佐宗氏)という。

地元企業のパナソニックが協力

 なんとか天候に負けない灯籠を用意できないかと思っていたところ、相談に乗ってくれたのがパナソニック仙台工場だった。「地元の企業で家電を扱っている当社に、雨にも風にも負けない絵灯籠を作れないかという相談がありました」とパナソニック 光学ドライブ 仙台工場 工場長の木谷寿嗣氏はいう。実は同拠点ではAV機器などの光ピックアップなどの製造が中心で、設計部隊はいない。それでも社員たちは時間の限られる中、雨や風に負けないことはもちろん、低コストで扱いやすい電子灯籠を設計した。「コンセプトは、全天候型、省エネ、リユース可能、コンパクト収納の4点でした」(木谷氏)。

 作る数は2500個にもなり、1つずつ点灯するのは大変だ。そのためソーラーパネルと充電池を搭載し、暗くなると自動で点灯する機能を付けた。また3つのLEDのうち1つは揺らぐようにし、ろうそくのような明かりを目指した。雨水を防ぐため回路一式は上部に取り付けている。使用しない時は折りたたんで収納できるように設計した。

灯籠はろうそくのようなゆらぎが出るよう作られた
雨で濡れないように天板の下面に基板一式を取り付けている
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