カシオ計算機は2026年5月に、特別な音楽知識や経験がなくても手軽に楽曲制作や演奏が楽しめるサンプラー「SXC-1」を発売したが、この製品が異例のヒットになっているという。その舞台裏を小寺信良氏が伝える。
今までにない新しい製品のアイデアや発想はどこから生まれてきたのか。映像系エンジニア/アナリストの小寺信良氏が商品企画や設計・開発の担当者へのインタビューを通じ、革新製品の生まれた舞台裏に迫る。
サンプリングマシン、いわゆるサンプラーという楽器をご存じだろうか。何らかの音を録音し、好きなタイミングと好きな音程で読み出すことで、楽音や自然音を楽器として使えるというものだ。
アナログ時代では、録音テープに記録した音を鍵盤に割り当てて呼び出す「メロトロン」が有名だ。ビートルズの名曲「Strawberry Fields Forever」のイントロのフルート音がそれである。
デジタル時代のサンプラーの原点は、1979年の「Fairlight CMI」だろう。同ブランドはその後、音声ポストプロダクション向けの編集/ミキシングシステムへと展開し、現在は動画編集ツール「DaVinci Resolve」の音声ミックス用ページ「Fairlight」として搭載されている。
鍵盤楽器としてスタンドアロンの形になったのは、1981年のE-mu「Emulator」が思い当たる。この路線で大幅に価格を下げ、アマチュアでも手が届くようにしたのは、1984年頃に登場したEnsoniq「Mirage」だ。ただEnsoniqのキーボードは、鍵盤の感触がちょっと変だった記憶がある。
ラックマウント型のサンプラーとしては、1985年のAKAI「S612」が草分けの一つだろう。AKAI professionalは1984年に電子楽器市場へ参入しており、S612はその翌年に投入されたサンプラー第1号である。のちのS900、S1000といったモデルは、音楽スタジオだけでなくテレビ番組のMAスタジオにも数多く導入された。
1983年から84年にかけて、サンプリング音源だけで音楽を構成する「Art of Noise」がデビューし、また英国プログレッシブロックグループYESの「Owner of a Lonely Heart」(邦題「ロンリー・ハート」)が大ヒットした。オーケストラの「ジャン!」という音を鳴らす、いわゆる「オーケストラヒット」が1980年代を代表する音となり、サンプラーの名前は広く知られるようになった。
日本の楽器メーカーが遅ればせながらサンプラーに参入したのは、1986年のことである。この年、Roland「S-50」、KORG「DSS-1」が登場する。ただ価格的には20万円台後半〜30万円台で、当時の鍵盤楽器としては高い方であった。
この時、世の中の常識をひっくり返す製品が登場する。1986年に登場したカシオ計算機(以下、カシオ)「SK-1」は、ミニ鍵盤を採用したシンプルなサンプラーで、価格はなんと1万6000円。サンプラーが欲しいが手が出せないアマチュアミュージシャンや、サンプラーというものを触ってみたいという好奇心旺盛な人を中心に、大ヒット商品となった。テレビCMも流れたと記憶している。
さて、前置きが長くなったが、2026年5月に発売されたカシオのサンプラー「SXC-1」が大ヒット商品となっている。3万9930円(税込み)という低価格ながら、乾電池で駆動してスピーカー内蔵、16個のカラーパッドをたたいてサンプリング音源を再生し、手軽に音楽制作やライブパフォーマンスが可能という、まさにSK-1で起こしたような価格の常識を破壊する製品となっている。
これはお話を聞かねばなるまい。今回お話を伺うのは、SXC-1の生みの親ともいえる同社サウンド・クリエーション事業部 商品戦略部 第二戦略室 リーダーの石崎浩輔氏である。これまでのカシオの楽器の流れとは一線を画す製品は、どうやって生まれたのだろうか。
小寺 コロナ禍の時は巣ごもり需要で楽器需要が非常に好調だったと聞いています。今回のSXC-1もそのムーブメントと関係があるんでしょうか。
石崎氏 われわれがクリエイターエコノミー事業の検討を開始したのが、2年前の2024年6月でした。新規事業としてどこを攻めるかという時に、今まで長年鍵盤楽器をやってきて、そのアセットがある領域を攻めるべきだろうということで、音楽クリエイションにたどり着きました。鍵盤楽器事業の好調があったからこそ、「音楽」についてのクリエイターエコノミー事業に参入する話になったという流れです。
小寺 これまでは、楽器が弾ける人向けの道具を作ってきた経緯があるわけですが、今回のポータブルなサンプラーは、トラディショナルな楽器演奏とは違ってボタン操作だけで楽曲になってしまいますよね。そういう方向性は、これまでカシオではあまりやってなかったのかなと思いますが、そこに狙いをつけた理由には何があったのでしょうか。
石崎氏 まず、カシオの外部環境と内部環境に分けて考えたんですが、外部環境としてスマホやSNSが出てきたことで、すごく個人の発信力が増えました。また、コロナ禍で働き方の多様化が起こって、例えばテレワークが増えて可処分時間が増えるといったことも起こりました。こういった背景から、誰もがクリエイターになれる時代がやってきました。特に最近は生成AI(人工知能)の発達もあります。
一方でカシオの内部環境としては、既存のサウンド事業視点では「楽器が弾ける人」を対象にずっとやってきました。そこに、まず「作る」「稼ぐ」の拡張を新規事業に取り入れたいと考えました。さらに、音楽以外の領域にも拡張していくべきだというところから、今回のクリエイターエコノミーおよびSXC-1を作るに至った流れがあります。
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