データだけ見ても人は動かない ヤマ発製造DXの失敗が生んだ現場サイエンティストものづくりワールド[東京]2026(2/3 ページ)

» 2026年07月22日 06時00分 公開
[中野龍MONOist]

「主観から客観へ」現場サイエンティスト誕生までのプロセス

 なぜ茨木氏は、人づくりこそDXの本質だと考えるようになったのか。その背景には、自身が歩んできたキャリアがある。

 大学では内燃機関の燃焼を研究した。指導教官から繰り返し言われたのは、「予混合気の気持ちになって考えろ」という言葉だった。茨木氏は「『どんな因子がどう相互作用しているのかを全部書き出し、どこを研究で明らかにするのかを考えなさい』と徹底的に教えられた」と振り返る。

ヤマハ発動機の茨木康充氏 ヤマハ発動機の茨木康充氏

 1999年にヤマハ発動機へ入社すると、製造技術、インドでの生産企画、工場の現場管理、SCM、製造DX技術開発と、多様な仕事を経験した。さらに、2004年には当時、一橋大学で教べんを執っていた知識経営の権威、野中郁次郎氏からナレッジマネジメントを学んだ。暗黙知を形式知へ変換する「SECIモデル」に触れ、制約理論(TOC)の思考プロセスも学んだ。一見すると異なる考え方だが、茨木氏はある共通点に気付く。

「全部、『あなたはどうしたいのか』という主観から始まっている。いきなり、分析やベンチマークから入るものではなかった」(茨木氏)

 ヤマハ発動機が以前から取り組んできた「理論値活動」も同じ発想だという。制約条件をいったん取り払い、「本来どうありたいのか」という理想の姿を描き、そこから現実とのギャップを埋めていく。茨木氏は「私は、まず主観を大事にしたい。その思いが最後に行き着いたのが『現場サイエンティスト』だった」と話す。

 現場サイエンティストとは、現場経験とデータ活用の両方を兼ね備え、自ら仮説を立て、データで検証し、改善を回せる人材を指す。茨木氏は「データサイエンティストではなく、現場サイエンティストを育てることが、本当の製造DXにつながる」と考えた。

コンビニから着想を得た「製造現場版POS」

 現場の経験を形式知へ変えるには、どのような仕組みが必要なのか。そのヒントになったのが、コンビニエンスストアのPOS(販売時点情報管理)システムだった。

 一般的には販売管理や在庫管理の仕組みとして知られているが、茨木氏は「POSの本質は仮説検証のツールにある」と説明する。

 例えば、「今週末は運動会だから、おにぎりがいつもより売れるはずだ」と店舗スタッフが仮説を立てる。その結果がPOSデータによって数値化され、仮説が正しかったかどうかを検証できる。さらに、その経験が次の発注へと生かされる。

 製造現場にも「今日は設備の音が少し違う」「油の色がいつもと違う」「この条件だと不良が出そうだ」といった経験を積み重ねてきた人材がいる。

「製造現場にも、同じ仕組みが必要なのではないかと考えた。現場には、仮説を立てられる人はたくさんいる。しかし、その仮説を検証するPOSシステムに相当するものがなかった」(茨木氏)

 そこで同社は、製品1個単位で製造条件を追跡できる仕組みづくりに着手した。

「製品1個ごとに、何度で作ったのか、圧力は何MPaだったのか、そうした実効値が全部つながれば、POSシステムと同じ構造になるのではないかと考えた」(茨木氏)

 つまり、デジタルを、AIに判断を任せるためではなく、現場が持つ暗黙知を検証するためのツールとして位置付け直したのである。

DXの本質は「知的労働生産性」の向上

 最初の対象となったのが、低圧鋳造工程だった。アルミを金型へ流し込み、エンジン部品を製造する工程で、製品1個単位の金型温度や圧力などを取得できる仕組みを内製で構築した。投資額は約200万円。高価なシステムを導入したわけではない。

「現場から『このデータが欲しい』と言われたら、早ければ1日、遅くても1週間で対応できる。コストももちろんだが、それ以上にリードタイムが圧倒的に短くなった」(茨木氏)

 現場では、取得したデータを基にすぐ議論を始められるようになった。「これは温度が原因ではないか」「この圧力変動が影響しているのではないか」。仮説を立て、その場でデータを確認し、改善へ移る。その結果、不良が約9割減少した事例も数多く生まれたという。

 しかし茨木氏は、成果をシステムの性能には求めない。「世の中のDXは、サイバー空間とフィジカル空間の話ばかりだ。しかし、それだけでは現場は変わらない」

 現実世界のデータをサイバー空間へ集め、AIで分析する……。こうした説明は多いが、その間にある「人」が抜け落ちているという。茨木氏は「足りなかったのは、現場を知っている人がデータを見て仮説を立て、議論し、検証する場だった」と指摘する。

 そのため、茨木氏は「データドリブン」という言葉にも違和感を持つ。「データだけ見ても、人は動かない。データを見て、現場を知っている人が『こうじゃないか』とひらめくから動く。本当は『データに基づく仮説ドリブン』と言うべきではないだろうか」と主張する。

 さらにDXの意味も独自に定義する。「DXの『D』は、点検を減らす、自動搬送するといった身体的な労働生産性だ。一方、『X』で変えるべきなのは、知的労働生産性となる」(茨木氏)。

 例えば、これまで10日かかっていた原因分析を1時間へ短縮する。その結果、生まれた時間を新しい技術開発や人材育成へ振り向ける。それこそが「過去の後始末から未来創造へ時間シフトする」という講演タイトルに込めた思いだった。

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