2階の展示「常に時代の一歩先を行く」(図3)では、信用を大切にしながら時代を少し先取りして動き、東洋の時計王と呼ばれるようになった創業者の服部金太郎氏の足跡が紹介される。
セイコーグループの創業は、明治の改暦により不定時法から定時法へと変わった時期と重なる。金太郎氏は社会が大きく変化するのを目の当たりにし、13歳で「時計屋になろう」と決めた。奉公先で時計の修理技術を学びながら開業資金をため、1881年に21歳で服部時計店を創業し、洋時計の輸入と販売を始めた。相手の商慣習に合わせた取引で大きな信頼を得て、事業を拡大していった。
1892年に天才技術者といわれた吉川鶴彦氏をスカウトして工場「精工舎」を設立し、柱時計や目覚時計の製造を開始した。当時は名古屋を中心に水平分業の時計会社が多かったが、金太郎氏は「分業では新しいことにスピード感を持って対応できない」と考え、社内一貫製造を選択し、品質を確保しながら他社に先んじて新製品を開発する体制を築いた。
セイコーグループは柱時計や目覚時計を収益の柱としつつ、小型化にも取り組み技術力を高めていった。「精工舎設立の3年後に作られた懐中時計『タイムキーパー』と、1913年の国産初の腕時計『ローレル』は当社にとって記念すべき製品です」(中原氏)(図4)。1924年には関東大震災前に完成していた腕時計の試作品のうち、奇跡的に残った腕時計をベースに、初の「セイコー」ブランドの腕時計を完成させた。
4階の展示「精巧な時間」では、精度を追求し世界の時計産業を塗り替えたセイコーグループの歩みが紹介されている。機械式時計では、1964年にスイスのニューシャテル天文台コンクールに初参加し、3年後には上位入賞を果たした。
時計史において数百年に一度といわれるインパクトをもたらしたのが、1969年に発表したクオーツ腕時計「クオーツアストロン」(図5)だ。水晶の圧電効果による振動を信号源とする時計は1927年に米国で初めて制作されたが、当時は真空管を使った分周回路や恒温槽を必要とし、実験室規模のサイズだった。1959年時点でセイコーグループが中京放送に納品したクオーツ式時計は2×1×0.5mの大きさだった。これを腕時計サイズに収めるために、オープンタイプステップモーターや音叉形水晶振動子、IC(初搭載は1970年)などさまざまな技術を独自開発した。
図5:世界初のクオーツ式腕時計クオーツアストロン。機械式の100倍以上の精度だった。小型すぎるため他社に頼れず、振動子やモーター、ICなどさまざまな技術を自社開発した。IEEEマイルストーンに認定されている[クリックで拡大]その後セイコーグループは特許を原則公開したため、世界中の時計メーカーが採用し、2019年には腕時計の97%がクオーツ式となった。そして、電池駆動やLSIの実用化により、1970年代から多彩な機能を持つ腕時計が実現可能になった(図6)。液晶テレビや電子インク表示の腕時計などは、セイコーグループが世界初で実用化した技術だ。

図6:コンピュータ腕時計「腕コン」(左上)、某スパイ映画にも登場した世界初のテレビウオッチ(右上)、計算機つき腕時計「カリキュレータ」(左下)、電子ペーパー表示の「スペクトラム」(右下)[クリックで拡大]6階の「グランドセイコーミュージアム」(図7)では、セイコーグループが2022年に発表した「グランドセイコーKodoコンスタントフォース・トゥールビヨン」(図8)も展示されている。トゥールビヨンは腕時計の向きによって生じる重力の影響を打ち消す機構である。コンスタントフォースは、ほどけるにつれ弱くなるぜんまいの力を一定にする機構だ。この2つを同軸で実現した複雑時計は世界初となる。

図7:グランドセイコーミュージアム。奥の壁一面に1970年代中ごろまでの製品が展示され、ファン必見の空間になっている、図8:「グランドセイコーKodoコンスタントフォース・トゥールビヨン」のプロトタイプ。価格は4400万円で20個がすぐに完売したそうだ。[クリックで拡大]展示フロアでは他にも、ぜんまい駆動によるクオーツ制御のスプリングドライブなどの独自技術や、時代を反映したさまざまなデザインの腕時計や置き時計、また海中や宇宙、極地など極限環境で使用される腕時計やスポーツ用計時機器など、さまざまな時計が紹介される。また親子で参加する腕時計組み立て教室などのイベントも開催されており、大人から子供まで楽しめる。
セイコーミュージアム銀座では、時代の変化を捉えながら技術力とブランド力を高めてきたセイコーグループの歴史が紹介されている。時計やセイコーグループの事業に興味のある人に必見のミュージアムといえるだろう。
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