昭和初期のゾーンからは、国内各社の工作機械が並ぶ。ヤマザキマザックは工作機械メーカーとしては後発だったため、国内では知名度が低かった。そのため、海外へ積極的に販路を求めたという。はじめは中古品の代わりに安価な新品を提供できるという形で販売し、こつこつと現地顧客の要望に応えていった。同時に米国での販路を築いていった。現在の売り上げのうち輸出が約8割を占めるのも、この頃から培ってきた経験の蓄積によるものだという。
日本の工作機械メーカー各社は、戦後は工作機械の製造が禁止されたため、技術的に海外に後れを取った。自由に製造できるようになってからは、国内メーカーの多くが海外の先進メーカーと技術提携して技術力を向上させていった。そして高度成長時代になると国内メーカーによる工作機械の量産がはじまった。山崎鉄工所の「汎用旋盤 LB-1500」は、同社が工作機械の量産を始めたころの旋盤だ(図8)。1962年に米国見本市に出品した。
一方、工作機械を作ることができる優れた工作機械は国内になかったため、欧米製の精密な機械が導入された。フランスのリネー社の「門形平削り盤」は、六尺旋盤のベッド6台を同時に加工していた(図9)。
1960年頃からはNC旋盤の開発が進められた。山崎鉄工所が1968年に製造した「NC旋盤 MTC2500R」は、初めて米国に輸出したNC旋盤である。1982年には対話型のCNC装置を搭載した「NC旋盤 Quick Turn 10」を開発した(図10)。NC言語を必要としないことやコンパクトであることなどが高く評価された。
最後のフロアでは、現在進行形の工作機械の姿を見ることができる。ヤマザキマザックの自動加工工場「Mazak iSMART Factory」は、最先端の技術を集積したIoT(モノのインターネット)工場だ(図11)。「過去の物だけを展示するのではなく、そこからつながる近未来の工作機械、生産システムの姿も見てほしい」(高田氏)との考えから、展示室と隣り合わせて実際に稼働する工場を設置した。
ここでは設備機械が19台と、ロボットが14台設置される。これら全てがネットワークでつながっており、IoT技術を活用して工場全体の生産活動を可視化し、工場運営全体の生産性の向上を実現している。フロアは全てが自動化され基本的に無人で稼働し、ほんの数人が稼働チェックのために見回る。
2019年はオープンで非常に忙しかったそうだが、今後は工作機械業界を代表する博物館として、より多くの子供達やその家族が楽しめるよう、展示の演出や体験コーナーを工夫していきたいという。また写真などを整理してアーカイブし、QRコードで見るといった取り組みも進めていければと考えているという。ヤマザキマザック工作機械博物館を訪問すれば、製造業を支えるマザーマシンの魅力を知ることができるだろう。工業製品を使う時は、それを作る機械たちにも思いをはせたい。
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