日本で3番目となる「ファブラボ渋谷」の立ち上げを経験し、現在、「ファブラボ神田錦町」の運営を行っている立場から、日本におけるファブラボの在り方、未来の理想形(これからのモノづくり)について、「これまでの歩み」「現在」を踏まえつつ、その方向性を考察する。
あなたの街に、誰でも自由に使える「図工室」があったとしたら、何を作りますか? 連載「日本におけるファブラボのこれまでとこれから」では、3Dプリンタやレーザーカッター、電子工作ツールなどが備えられた街の図工室「ファブラボ(FabLab)」について取り上げます。
ファブラボは、アナログからデジタルまで多様な工作機械を備えた、実験的な地域工房のネットワークです。個人による自由なモノづくりの可能性を広げ、「使うモノを、使う人自身が作る文化」を醸成することを目指しています。
この活動は、2002年にマサチューセッツ工科大学(通称:MIT) メディアラボの教授であるニール・ガーシェンフェルド氏の下でスタートしました。インドの農村地区、コスタリカ、ノルウェー北部、米国ボストンの低所得者居住地、ガーナから始まり、その数は令和元年(2019年)5月現在、世界90カ国、1600カ所以上に広がっています(https://www.fablabs.io調べ)。
そのきっかけは、「大学施設にあるさまざまな研究機材を地域に開放したら、どのような使われ方をするのだろうか?」といった、社会実験のようなものでした。
この“ファブラボの種”といえるのが、1998年にMITで開講された「How to Make(Almost)Anything/(ほぼ)何でも作る方法」という講座です。この講座では、MITに備わる機材を使いながら、あらゆるモノを作る方法を習得できます。
受講生は、モノ作り方を学びながら、個々の製作に取り組みます。その活動には、さまざまな目的が存在しますが、芸術家のケリー・ドブソン氏が作った「Scream body」は、まさに自身の欲求を満たすための“自分のための製品”といえます。「ファブラボの歴史」を紹介する中で頻繁に出てくる発明品で、YouTubeで、その詳しい内容を確認できます。この発明品は「どこにも売っていないから、自分で作る」という発想から生み出された、自分だけのプロダクトでした。電子工学の専門家ではない彼女ですが、“講座に集う多領域のメンバーとの協業によって実現した”というストーリーも、実にファブラボらしい特性を表しています。
この講座や、初期のファブラボの成果などがまとめられたニール教授の著書『ものづくり革命 パーソナル・ファブリケーションの夜明け』でファブラボが紹介されて以来、その考え方が急速に世界に広まりました。街中に誕生したファブラボには、地域の住民が訪れ、皆それぞれが目的をもって「何か」を作り始めました。個人的な課題を解決するモノや、他のファブラボとの共同製作、国境を越えたプロジェクトなど、その活用はさまざまです。
日本国内では、2011年に「ファブラボ鎌倉」(神奈川)と「ファブラボつくば」(茨城)が同時にオープン。その後「ファブラボ渋谷」(東京)、「ファブラボ北加賀屋」(大阪)、「ファブラボ仙台」(宮城)と続き、その数は現在18カ所に上ります。
さらに、『FREE』の著者であるクリス・アンダーソン氏が『MAKERS 21世紀の産業革命が始まる』の中で、ファブラボについて触れたことも、国内で広く知れ渡るきっかけとなりました。
今日、世界のファブラボは、ネットワークを通じてさまざまなコラボレーションを行っています。「Fab Wiki」や「fablabs.io」などのWebサイトを通じての情報共有を行う他、ビデオ会議システムでそれぞれをつなぎコミュニケーションすることが可能です。世界中のどのファブラボにも、いつでもアクセスできるのです。
また、年に一度、各国のファブラボ関係者が集まる国際的なミーティングの場として、「Fab(X):世界ファブラボ会議」が開催されています。1週間ほどの会期中に、各ラボのプロジェクト共有や、未来を見据えたミーティング、ワークショップなど、多様なプログラムが盛り込まれています。2013年には「FAB9」として横浜で開催されました。2019年は、エジプトで「FAB15」が開催される予定です。
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