溶接・接合技術関連分野の展示会「国際ウエルディングショー」(2018年4月25日〜28日、東京ビッグサイト)で、「ものづくりと人づくり――思うは招く」をテーマに植松電機代表取締役兼カムイスペースワークス代表取締役の植松努氏が開幕記念講演を行った。
溶接・接合技術関連分野の展示会「国際ウエルディングショー」(2018年4月25日〜28日、東京ビッグサイト)で、「ものづくりと人づくり――思うは招く」をテーマに植松電機 代表取締役 兼 カムイスペースワークス 代表取締役の植松努氏が開幕記念講演を行い、「夢」の重要性について語った。
植松氏は子どものころから紙飛行機が好きで宇宙にあこがれ、大学で流体力学を学び、名古屋で航空機設計を行う会社に入社した。1994年に北海道に戻り、父親の植松清氏が経営する植松電機に勤務し、産業廃棄物からの除鉄、選鉄に使う電磁石の開発製作を手掛けた。
2005年からは北海道大学との共同研究でCAMUIロケットの開発に着手。北海道の町工場でロケットの実用化に向け挑戦し続け、宇宙開発分野で躍進し注目を浴びている。2016年8月カムイスペースワークスの代表取締役に就任。現在は全国で企業・学校での講演やロケット教室を通し、若い世代に向けて夢を与える活動にも力を入れている。講演では「思い」の重要性を強調した。
植松氏がまず指摘したのが、日本の人口の推移だ。「鎌倉幕府のころから増え続け、江戸時代は微増。明治に入ってからとんでもない勢いで増えた。それが2004年12月を最後に減り始めた」とし、そして「人口が減少するということを過去に経験した日本人はいない。これからわれわれが生きる時代はこれまでの常識が反対になるかもしれない」と強調。今後、大きな経済成長や賃金上昇は見込めず、今まで通り素直にまじめに働いていても給料は増えることは限らない時代が到来していることを指摘した。
こういう時代だからこそ植松氏は強調するのが「夢」の重要性である。植松氏には小学校時代に夢についての忘れられない出来事があるという。
「小学校の卒業文集に自分で作った潜水艦で世界を旅したいと書いたが、先生に『他の子はちゃんと仕事のことを書いているのに、君だけはなぜできもしないことを書くんだ』と怒られた。正直に夢を描いたら『夢みたいなことを書くな』といわれ、困ってしまった」(植松氏)
その時に植松氏が感じたことは「常にこの世に存在する身近な仕事の中から夢は選ばなくてはいけないのか」という疑問であり、さらに「それではどうすれば新しい仕事を見つけることができるのか」という問いが生まれたという。また、中学生の時には先生からの「勉強すればよい学校行くことができ、良い会社に入れる。良い会社とは安定しており楽をしてお金をもらえるところだ」と言われたが、納得できない思いだったという。
「生活を安定させるためには大企業に勤めたり公務員になったりすることが必要だと思う人は多いが、それは人口が増えていた時代の話だ。当時は同じことをひたすら繰り返していても仕事は増えていたから安定していた。今は人口が減少している時代に入った。間違いなくいえることは、思考と努力をせず手に入れることができる安定はないということだ」と植松氏は指摘する。
さらに「夢といえばお金という人もいるが、お金を得るには働くよりも、持っている人から奪うことの方が『楽』となる。しかし、そこには教育や労働という価値も必要なくなる。『高所得を得ようと思えば高学歴が必要』といわれるが、本当に楽に金を稼ぐだけであれば必要ない。最近はうそをついたり、だましたりすることで『奪う仕事』が増えている感じがする。これらの奪う仕事が増えすぎると社会は崩壊する」と苦言を呈した。そして「『楽』を探すよりも『楽しい』を探したほうが良い。楽しいは探さないと見つからない。見つかれば明日が来ることが待ち遠しくなる」とやりがいの価値を強調した。
「今はお金がないと夢がかなわないと、思い込まされている人が多い。それはお金を払って誰かにしてもらおうと思っているからだ」(植松氏)とし、料理店の例を引き合いに出した。「例えば、おいしい料理を食べるには店に並ばなければいけない、それには毎回料金を支払うことになる。しかし、本当にその料理が好きなのであれば、その料理を自分で作ってみることもできるはずだ。そうすればいつでも食べられるようになる。そして、それが仕事になるかもしれない。お金よりも能力が欲しくなり重要なものとなる」(植松氏)。
しかし、世の中ではそうした流れではなく「安定」や「楽」「お金」などが「夢」になってしまっている人がいる。「そういう本質的ではないものを追い求めてしまうと、夢を追いかけるのがつらくなる。本当の夢とは何なのかをぜひ考えていただきたい」と植松氏は語りかける。
その植松氏が「夢」として取り組んでいるのが宇宙関連事業である。
植松氏は小学生のころは、先生から「集団行動ができない」などの評価を受けていたという。一方で、祖父の影響もあり、ロケットが好きだった。でもロケットは簡単に手に入らない。既存のロケット研究の最前線に入ることも難しい。その中で植松氏は「だったら自分で作ろう」と考えたという。
ただ、ロケットは非常に難しい技術で、さらに危険も伴う。「実現は無理かもしれない」とくじけそうになった時に、北海道大学 教授の永田晴紀氏と出会ったという。そして危険物管理コストを引き下げる「安全なロケットを作ればいい」とアドバイスを受けた。そして、助け合うことによってロケットが作れることになったという。
ロケットエンジンを開発するところから開始し、本体も完成した。さらに人工衛星まで作り上げたが、その人工衛星が宇宙で稼働することを確かめなければならなかった。それには宇宙と同じ真空で−200度程度の低温環境が必要となる。その環境条件を満たすスペースチャンバーの使用料は1日600万円で、その費用を用意するのが難しい状況だった。
そこで、自分で作ることにした。無重力状態を作るにはタワーの先にカプセルを付けて、落下させることで実現した。「こうした施設を作る方法は、本に書いてもないし誰も教えてもくれない。新しいことをするには自分たちで考えなければならない。われわれは未来を生きるしかない。この未来に踏み込んでいくには、自分で考えて、自分で試すことだ」と挑戦の重要性を語った。
植松氏が携わるロケットの打ち上げに何度も立ち会っているが、ロケットを発射する瞬間は毎回失敗しないかと不安な気持ちで押しつぶされるようになるという。「しかし、その不安を乗り越えて勇気を出して挑戦しなければ、仲間と一緒に大きな喜びは得られない」と宇宙への挑戦の意義を訴えた。
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