2000年の初夏。
3カ月間の研修を終えて配属された先は、エンジンシステム開発グループ。当時の白井騎士チームです。
最初の業務は、C言語を用いてエンジンを制御するモデルの開発です。
正直なところ言葉を失いました。
これで失業かな……とも思いました。
コンピュータ言語の経験は、中学生の頃にBasicでゲームを作った程度です。大きな壁が立ちはだかったと感じました。
うつむき掛けた時、妻と子どもの顔が脳裏を過りました。
「ここで諦めてなるものか」
家族との安定した生活を確保するためC言語の猛勉強を決意しました。
C言語の勉強と並行して、エンジンの制御の仕様書を理解することにも着手しました。
などです。
これらを思惟する際に支えになったのが、3カ月間の研修の経験と、そこで築いた人脈でした。
分からなければ現場に足を運び頭を下げて教えを乞うて制御仕様書の解読を試み、さらに分からなければ再度現場に足を運び頭を下げて教えを乞いました。この中で「仕事の邪魔だから来るな」と笑いながら言われたこともありました。よい思い出です。
2000年の初秋。
完成しました。
全くの素人同然だった人間が、わずか3カ月間でC言語をマスターしながら、エンジンの制御仕様書からエンジンの制御モデルを完成させたのです。
これは生産技術で仕込まれた“現場現物主義”を実践した成果でもあります。
分からなければ、即、現物を確認したので、悩んでいる時間が最短になったのです。
早速、既存のプラントモデルと合体して、燃料噴射パルスからモード燃費を演算できるようにしました。ハードウェアとソフトウェアの同時評価を可能としたのです。モデルベース開発の先駆けです。
これに味をしめた私は、次々と新たなモデルを開発し量産開発に適用して行きました。
走りと燃費を同一のモデルで評価可能とするため、仮想車両を運転するドライバーモデルを開発しました。これにより、ドライバーモデルに与えるモードを切り替えるだけで走りと燃費を両立する設計諸元の机上検討が可能となりました。
このドライバーモデルにはファジー理論に基づく学習機能をも実装させ、2〜3回捨てモードを走らせるだけで、二輪車から10トン車まで熟練ドライバー並の運転ができるようになりました。もちろん過学習による不自然な操作は行わない工夫も組み込み、安定した運転操作を実現させました。
ターボエンジンも手掛けわずか3日で完成させました。ディーゼルエンジンも手掛けました。この時にディーゼルエンジン用の制御モデルも開発しましたが、制御仕様書から制御モデルを完成させるまでの期間を約1カ月に短縮できました。
成長を実感した瞬間です。
熱力の分野も手掛けました。シリンダ出口のガス温とガス流量、排気管の径、曲げ角度などを変数にして、触媒に到達するガス温とガス流量を予測できるようにし、エンジン暖機前の冷間スタートの燃費も評価可能としました。
まだまだ実績を挙げるとキリがありません。
どんなものでも簡単にモデル化できると、相当に自信過剰(うぬぼれ)になっていた時期ではありますが、これらの実績を挙げることができたのは、人脈に依る部分が大半を占めています。これは紛れもない事実です。
教科書に記載されている計算式をつなぎあわせても、欲しい結果は絶対に得られません。
正確で高速なモデルを開発するには、実機のメカニズムをどれだけ正確に理解できるかが重要事項になります。物理現象を四則計算レベルに分解できるまで理解し、式を組立てることが神髄なのです。実機のメカニズムを正確に理解するためには、匠といわれる方々の知見が必須です。その方々の知見を授けて頂けるかどうかは、常日頃からのお付き合いによるもので、人脈であると確信しております。
やはり3カ月間の研修は重要でした。
そんな、こんなで5年もの月日が流れました。しかし、毎年の勤務評定の際には、車両系の開発への異動を申請しておりました。
なぜでしょうね?
やはり私はわがままなのでしょう……。
相当なわがままを言って白井騎士さんを困らせた結果、ついに長年の念願がかないました。
2005年の初春。
車両系の開発への異動が決定しました。
行先は、念願のボディシステム開発グループの量産立ち上げ部隊です。
ついに念願していた車両系の開発への異動が決まった越光。だが、本当の苦闘はそこから始まる。次回は最終回となる挑戦編。越光を待ち受けるものとは……。
越光人生(ペンネーム)
自動車の製造会社に勤務するエンジニアであり、毎月のお墓参りを欠かしたことがない生粋のおばあちゃん子です。現在に至るまでいろいろと泥臭い人生を歩んできましたが、諦めが悪いのが私の唯一の取りえです。
前のめりになりながらも最後の最後まで諦めずに、その場その場ででき得る最大限の努力をしてきました。そのおかげか振り返ってみると紆余曲折しながらも随分と良い方向に人生が変わってきたなと感じている49歳です。
行き詰まり感や悲壮感に苛まれ、一歩を踏み出すことをためらっている人たちに、「一念奮起し最後の最後まで努力することを諦めなければ人生は変えられる」実例としまして、何がしかの参考にでもなれば幸いです。
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