フォックスコン顧問が語る“失われた20年”が生んだ日本の未来とは?製造マネジメント インタビュー(1/4 ページ)

日本のモノづくり環境は大きな変化を迎えている。多くのグローバル企業から製品組み立てを請け負うグローバル製造業から見たとき、日本のモノづくりの価値はどう映るのだろうか。フォックスコン顧問を務めるファインテック代表取締役社長の中川威雄氏は「“失われた20年”で苦しんだ経験こそが世界が欲しがる貴重なものだ」と指摘する。

» 2013年10月29日 11時30分 公開
[三島一孝MONOist]
中川氏

 アップルのiPhoneをはじめ、世界有名ブランドのPCや家庭用ゲーム機の大半の製造を請け負う世界最大のEMS(電子機器受託製造サービス)企業である台湾 鴻海(ホンハイ)精密工業(フォックスコン)グループ。中国・深セン市の大規模工場では35万人、中国全土で100万人余りが働くとされ、その規模によるコスト競争力を築く。またシャープとの提携問題で話題となった液晶事業で世界3位の規模を持つなど、生産技術力も高めており、今では世界の電子機器製造には欠かせない存在になっている。

 その生産技術を支える顧問の1人がファインテック代表取締役社長の中川威雄氏だ。中川氏は東京大学で機械加工技術を研究。1988年に中川氏が出席した型技術の国際会議で、鴻海精密工業 董事長の郭台銘氏と出会った。その縁から東京大学教授を定年退職後、フォックスコン顧問に就任。また鴻海精密工業の出資によりファインテックを創業した。

 世界のモノづくりが変化する中、長くモノづくりに携わる中川氏にとって、日本のモノづくりはどのように映るのだろうか。「“失われた20年”の経験を、世界のモノづくり企業は欲しがっている」と意外な点を指摘する中川氏に、日本のモノづくりの過去と未来について話をうかがった。




歴史を見るとモノづくりの未来も見える

MONOist 日本のモノづくりの現状をどう見ていますか。

中川氏 歴史を見るとある程度日本のモノづくりの将来も見えるし、追い付いてきたアジアの将来も見える。そういう変化を踏まえた上で今後の日本をどうしていくかを考えないといけない。頑張れば昔の成長を取り戻せるという人もいるが、歴史を見る限り本当にそうなるとは考えにくい。

中川氏 中川威雄(なかがわ・たけお)氏 工学博士。東京大学名誉教授でファインテック代表取締役社長。東京大学 生産技術研究所教授、同 付属先端素材開発研究センター長、理化学研究所 研究基盤技術部長などを経て、2000年にファインテックを創業した。プレス加工や金型などの第一人者。東京大学教授を定年退職後、1999年からフォックスコンで技術顧問を務めている。

 第2次世界大戦の敗戦で日本の産業は壊滅的な被害を受け、工場はほとんど全てがなくなり、輸出品は生糸くらいしかない状況になった。恐らく今の低開発国と呼ばれる国々よりももっとひどい状況だった。

 それでも多くの途上国と異なるところは、日本は明治時代から近代化を進め、富国強兵・殖産興業政策を進め、モノづくりの土台となるような一定水準のレベルに達していたという点だ。そのため敗戦後には工場やお金はなくても、知識や経験があった。日本だけでなくドイツも戦争で負け、国土は荒廃したが、戦後は工業国として急速に復活した。どうしたら産業を復興できるかという知見を持っていたからだ。

 戦後に日本が何をしたかを振り返ってみると、まず欧米の「まね」をしてモノづくりをした。モノづくりの土台があったため、欧米先進企業のまねがすぐにできたのだろう。当時の輸出品は今の新興国と同じで衣料品。安い“1ドルブラウス”を作って洪水のように輸出したこともあった。当時は日本の人件費は安かったので、“安かろう悪かろう”と言われた時代でもあった。

 その後日本の輸出品は品質も向上し、機械製品や電気製品に拡大した。輸出品も雑貨品から始まって造船、鉄鋼、家電、自動車、半導体、プラントなど製造業全体に拡大した。世界の輸出大国ともいわれるようになった。しかし、日本の輸出品が伸びると最大の取引先の米国との貿易摩擦に発展。結局、日本の自動車メーカーの米国への工場進出で貿易摩擦問題を解決した。これが日本の製造業の海外進出とグローバル化の先駆けとなった。

 現在の日本の産業構造を見ると、かつての米国など先進国の立場と、今の日本の状況は同じだ。中国製の衣料や工業品が多く入ってきて、それを日本政府が関税でブロックしようとするが、貿易立国としてはそういう政策を維持するのは難しい。一方で製品の品質は新興国に追い付かれつつある。今の米国を見ると、かっての米国の産業構造とは異なる状況になっている。いわゆるモノづくり産業は米国では衰退してしまった。日本も米国の後を追っており、このままでは、日本のこれまでの製造業は衰退していく一方だ。

負けても変わればいい

MONOist 米国は、ほとんどの家電製品から撤退してしまいました。

中川氏 電機業界も自動車業界と同じようなことが起こった。かつて強かったラジオやテレビなど、全て日本に負けた形だ。米国は自動車からは撤退しなかったが、家電はほとんど撤退した。その後、コンピュータや半導体が出てきたが、さらにそれも追い落とされ、結局はファブレスのようなビジネスモデルが出てきて米国内で生産しなくなった。しかし、その後はマイクロソフトやグーグルなどソフトウェアやインターネット関連の産業が生まれてきた。

 米国産業の歴史はメインプレーヤーが変遷する歴史だ。負けるとどんどん変わっていく。米国国内でのモノづくりは、今では、農業や兵器、航空機くらいだが、例外的に自動車は米国内で生産している。自動車は大国では輸入に頼る訳にはいかないからだ。ただその構造も変化しており、米国内での自動車生産だけを見ると生産の多くを外国メーカーが担うようになり、その外国メーカーが輸出向けの自動車も生産している。例えば、韓国や南米に輸出されている日本車は米国製のものが少なくない。FTA(自由貿易協定)で米国製の方が輸出しやすくなったからだ。

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