日本復興のヒントは、シンガポールにあるか?経済研究所 研究員は見た! ニッポンのキカイ事情(6)(3/4 ページ)

» 2011年04月20日 11時40分 公開

3.シンガポール中小企業は何をしたのか?

 シンガポールのモノづくり中小企業が示した空洞化への対応策、それは

 国際化と海外市場参入

です。各企業はR&Dに傾注、多品種少量で高付加価値な部品を手掛けながら、輸出を志向し、各国にジョイントベンチャーを設立して、国際化を推進していきました。その上で、航空機、医療機器といった次世代産業に参入していったのです。

 幾つか事例を見ていきましょう。

 

 A社(従業員数100人:精密ダイカスト鋳造)は1989年に創業した企業です。創業者である現社長は、もともと欧州系の多国籍企業で営業を担当していました。現社長は自分のネットワークをフルに活用して、シンガポール企業、次いでシンガポール内の欧米系企業、日系企業から受注を獲得していきます。ところが、2000年に主要受注先が生産コストの高騰を理由にタイや中国に移転していきました。

図4 図4 A社の精密の製品

 事業を継続していくため、輸出に焦点を当てていきます。A社の受注先は世界中に立地しています。そのため、A社にとっては受注先に合わせて海外生産するも、シンガポール国内に自社の生産機能を集中させた方がコストや品質管理の面で効率的だったのです。

さらに、軽量な精密小物部品を手掛けていること、またシンガポール国内に強力な物流産業が存在していることも、こうした決断を後押ししました。

 同社はシンガポール政府の支援を受けて、国際展示会や国際商談会に参加、現在では欧米やアジアの多国籍企業50社と取引しています。その事業分野も、

 電機・電子、産業機器、自動車、航空機、医療機器

と非常に多角化しています。

 筆者は2010年の10月に一週間ほどシンガポールに滞在して、11社のモノづくり中小企業にインタビューさせて頂いたのですが、どの企業もA社と同じように国際化を進展させ、空洞化を克服していたことに衝撃を受けました。

 B社(従業員数135人、1982年に創業)の事例を見てみましょう。B社は治具製作を経て、航空機部品を手掛けるようになりました。シンガポールの著名な政府系企業であるST Engineering グループも受注先です。1990年代半ば以降、受注先がこぞって、タイやマレーシア、中国に生産拠点をシフトさせていきます。その中で、医療機器、光学機器といったより高付加価値な産業に参入、精密部品を米国系企業やスウェーデン系企業に供給しています。また、シンガポール国内では衛星通信用の小型アンテナの精密部品も手掛けています。

 航空機部品の生産では、精密加工や表面処理をドイツ企業、英国企業に外注しています。

 まさに、欧米の多国籍企業のグローバル・サプライチェーンのハブになっているのです。

図5 図5 B社内にて:見づらくてすみません。B社は米国の医療機器企業のベスト・サプライヤー賞を獲得しています。

 なお、「国際化」と言うと、為替リスクなどさまざまなリスクが頭によぎります。これも本当なのでしょうか。プラスチック射出成形企業C社(1979年創業)の事例を見てみましょう。C社はもともと、周囲の同業種の企業の9割と同じように電機部品を供給する下請企業でした。こうした状況から脱却するために、技術的に難易度の高いコネクタ部品やエネルギー装置の部品を手掛け始めます。

 同社の経営者は、

 「今後、シンガポール部品業界では高付加価値な精密小物部品が主流になる」

という強い思いを抱いたのです。

 1980年代末からはひと足早く、海外市場に焦点を当て、インドネシアに生産拠点を設立します。その後、米国自動車企業とジョイントベンチャーを設立し、センサー部品などを手掛けるようになります。次いで、医療機器産業に参入、スイス系企業に部品を供給しています。

 なお、同社では、

 シンガポール・ドル、米ドル、欧州ユーロ、日本円、中国人民元、マレーシア・リンギ

といった幾つもの通貨を決済に用いることで、自社内で通貨バスケットを組み、為替リスクを最小化させています。冒頭で「金融・観光立国」と述べたように、シンガポールの金融産業は非常に高い国際競争力を誇っていますが、その知識・ノウハウがさまざまな形でモノづくり中小企業に移転しているのです。C社の通貨バスケットもそうした事例の1つだと指摘できるでしょう。

図6 図6 C社本社

 金融産業からの知識の移転、ということではD社を紹介したいと思います。D社は1974年に創業、OA機器や自動車部品のゴム成形部品を手掛けています。1980年代に日系自動車部品企業とジョイントベンチャーを設立し、高度な加工ノウハウを獲得していきました。ところが、急激な事業拡大の中で、いつしか経営が極めて非効率的になり、1990年代半ばには多額の損失を計上、経営危機に直面します。こうした危機の中で、同社の再建を担ったのが20年以上にわたってシンガポールの金融機関に勤めていた現副社長です。それまでは売り上げの8割をシンガポール国内のHDD関連産業たった1つに依存していました。そのため、自動車業界や家電業界、OA機器業界に順次、参入していきます。

 加えて、ドイツ企業、オーストラリア企業、インド企業とジョイントベンチャーを設立していきます。

現在の受注先は、

 Denso、GM、 Ford、 VW、Audi、Toshiba、Philips、Samsung、LG

など欧米、日本、米国、韓国の著名な多国籍企業ばかりです。同じように国別も一カ国に依存せず、シンガポール、マレーシア、タイ、中国、ベトナムなど複数国に均等に分散させているのです。

図7 図7 D社本社にて副社長と筆者:2010年10月

 人材活用という意味では、次の企業も興味深い取り組みをしています。E社(従業員数300人)は1981年に創業した精密加工を得意とする企業です。同社も当初はドライブシャフトや小型ボートのプロペラの加工を手掛けていました。その後、徐々に日本製・ドイツ製の工作機械を導入していき、技術力を向上させ、米国系の半導体企業などから受注を獲得していきます。2002年にはフランス人の生産管理の専門家であるF氏を経営コンサルタントとして招聘(しょうへい)しました。F氏は数年前に部長として、正式に入社しています。

 同社はF氏のヨーロッパでの人脈を活用しながら、世界中で、

 医療機器、輸送機器、半導体、光学機器

といった高付加価値な産業に参入していくのです。輸出先は米国、フランス、英国、中国で珍しいところではニュージーランドの企業とも取引をしています。

図8 図8 E社社長とフランス人の部長F氏

 この他にもシンガポールには、

  • ウズベキスタンにLEDの生産拠点を設立
  • インド自動車企業に部品供給

など積極的に国際化することで、海外市場に参入し、空洞化を克服した企業が多々、操業していることを付記します。

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