シンガポールの製造業は1980年代以降、ハードディスクドライブ(以下、HDD)を主とする欧米系の電機企業が進出・集積したことで発展していきます(Poh Kam Wong、1999年)。シンガポールの政府統計によれば、1996年にHDD産業の規模はピークを迎えます。その結果、一国全体の製造業がHDD産業たった1つに依存してしまった、といっても過言でない状況が生じたのです。
これはモノづくり中小企業も例外でなく、ある表面処理企業は、
「1990年代以前は売り上げの6割以上をHDD関連に依存していた」
とコメントしています。これがその当時のモノづくり中小企業の平均的な姿でした。
ところが、1997年にアジア通貨危機が発生します。シンガポールもその影響は免れず、打撃を受けた大手多国籍企業は生産拠点を近隣の東南アジア諸国や中国に移転していきます。その結果、製造業の縮小と空洞化が進展していったのです。
図3では1996年以降、電機産業の規模が急激に縮小していることが見て取れるでしょう。多くの人が持っているだろうシンガポールの製造業のイメージは、ちょうどこの当時のものなのです。
しかし、同国の製造業は2000年代初頭を境に規模が拡大していきます。何と2009年時点での製造業の規模は1996年時点を上回っているのです。
これでは、
「シンガポールの製造業は空洞化してしまった」
とはとても言えません。むしろ、
「シンガポールは自国よりはるかに低賃金の人口大国に囲まれながら、国内でモノづくりを維持・発展させている」
といった表現の方が適切です。また、図3のデータをごく簡単に分析したものが図3Aです。1996年と2009年を比較すると一般機械、輸送機械、精密機械が製造業に占める割合がすごく大きくなっています。
後述しますが、ここで言う輸送機械・精密機械は、
航空機、自動車と医療機械、光学機器
などです。日本が目指すべき、次世代産業の割合が急激に増加しているのです。一般機械はこれらの産業を支える部材などでしょう。シンガポールの製造業で一体、何が起きたのでしょうか? モノづくり中小企業の視点に立ちながら、具体的に見ていきましょう。
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