モノづくり現場を数多く取材してきたジャーナリスト・本田雅一氏による“モノづくりコラム”の新連載。テクノロジーを起点に多様な分野の業界、製品に切り込んできた本田氏による珠玉のエピソードを紹介しつつ、独自の鋭い視点で“次世代のモノづくり”のヒントを探る。(編集部)
今回、@IT MONOistへの連載を依頼され、こうしてコラム連載を始めさせてもらうことになった。しかし執筆を依頼された当初は受諾するか断るかで悩んだ。結果的には受けることにしたのだが、仕事を受けてから実際に書き始めるまでにも、多くの時間を要している。テーマが決まり、取材も終えてしまえば、執筆時間そのものは長いものではないが、今回のコラムは久々に難産だったことを告白したい。
筆者はソフトウェア開発の経験こそあるものの、モノづくりに直接関わった経験はない。しかし、モノづくりに関わる人間を取材し、記事にするようになってから、かれこれ17年以上が経過した。
その取材経験から感じるのは、なんといっても経験と知識を積み重ねていくことの重要性だ。知識は経験によって得られるだけでなく、同じ仕事に長く取り組んでいくことで、他者からもたらされるものも多い。そうした豊富な経験と知識こそが、モノづくりを支える技術の骨格をなしていることは、MONOistを読んでいる読者ならいわれるまでもないことだと思う。
つまり、そうした経験と知識を重ねていない筆者が、果たしてモノづくりに取り組むエンジニアたちのヒントになるコラムを書けるだろうかと、少しばかり慎重に考えていたのである。しかし、それでも受けようと思ったのは、取材を通して多くのユニークな“エピソードを知る経験”があったことを思い出したからだ。
製品やサービスを紹介するうえで、それらのエピソードは単なるサイドストーリーにしかすぎないかもしれないが、モノづくりやモノづくりに関連したビジネスの枠組みを考えるうえで、それらエピソードが役に立つことはあると思う。
筆者が取材してきた中で、最もダイナミックな経験といえば、2008年に終わったBlu-ray Disc対HD DVDのフォーマット戦争である。エンドユーザーから見ればメーカーのエゴにしか見えないフォーマット戦争だが、エンジニアの皆さんならば、それほど単純なものではなかったと想像できると思う。
この出来事は5年以上にわたってさまざまな経緯を踏んでいるため、簡単に全体像を紹介することはできない。だが筆者がここで感じたのは、事業戦略でいくら仕掛けを弄(ろう)したとしても、技術の本質までは変えられないということだ。
ここでは細かな事情を無視し、このフォーマット戦争を単純化して説明するが、東芝は記憶容量が少ないHD DVDでも、主要な家電メーカー各社が参画し、大容量も実現していたBlu-ray Discに勝てると判断した。なぜなら、光ディスクを使ってビジネスを行う映画スタジオは、より安価に量産でき、製造設備への投資も少なくて済むHD DVDの方を好むと考えていたからだ。
DVDに対して画素数は約5倍なのに容量は4倍にも満たないのだから、容量が足りないのは明白だったが、半導体技術が進歩する速度を考慮し、より進んだ圧縮技術で容量差をカバーする方が“投資効率が良い”と考えたのである。
技術、マーケティング、経営を一体化して昨今の手法から考えれば、この方針そのものに大きな問題はないようにも思える。むしろ投資効率が良い方が規格立ち上げを業界全体で推し進める際のリスクも少ないので、普及のきっかけをつかむまでの苦労は少なくて済むかもしれない。
まだ末端の量産技術までが完成されてた領域にまで達してないBlu-ray Discがもたついている間に、デファクトはHD DVD、コストが安いのはHD DVDという印象を植え付けることができれば、Blu-ray Discは低コスト、高歩留まりに到達する前の若芽の状態から成長できなくなる。積み重ねるべき経験を得られなくなるからだ。
東芝1社で戦おうとしたのが間違い、容量が少ないのだから最初から負けは決まっていたなど、さまざまな批判が後から浴びせられた。しかし、技術的なスペックでは圧倒しているはずのBlu-ray Discが、実際には戦略的に相当追い込まれていたこともあったと筆者には見えた。
多数の会社が集まって開発されたBlu-ray Discはチームで動かねばならないが、HD DVDは実質的に東芝の規格である。技術の策定もプロモーションも、戦略的動きも、自分たちで計画的に行うことができる。そうした機動力の良さがなければ、あれほど長いフォーマット戦争は戦えなかった。
しかしどんな戦略的な動きも、物事を進めるうえでの起爆剤や燃焼促進剤の役目は果たしても、技術の本質までは変えられない。HD DVDが最新の半導体技術を前提にした、新しい技術での映像圧縮を採用するのであれば、同じ世代の技術を用いることでBlu-ray Discだって同様の条件になる。最後に残るのは、技術の本質的な部分なのだ。
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