ここでは日本の主要産業として、製綿工業および織機の概況について見ておく。
製綿工業は、この時期の日本の最重要輸出産業であり、経済変動と国際競争の鍵を握っていた。ここで、構造的優位性の確立、国際市場での躍進、紡績の状況などについて見ると以下のようになる。
織機を含む機械工業は、製綿工業の活況に支えられ発展した。ここでは、自動織機技術の進化、軍需景気の影響について見ておく。
1934年(昭和9年)ごろは、石川島、ダット、東京瓦斯電気工業などによる標準型トラック/バスの試作が進み、1934年に日産自動車、1937年にトヨタ自動車工業が設立されるなど、自動車国産化体制が整い始める前夜に当たる。
つまり、この1925年(大正14年)〜1934年(昭和9年)の10年間は、日本経済にとって、外資系自動車の大量進出と、それに対抗する国産工業育成の模索が並行した時期であり、後の「自動車立国」への基盤が静かに築かれていった時期だったといえる。
こうして日本は、金融危機と大恐慌を経験しつつも、円安と輸出主導(特に製綿工業の躍進)によって経済回復を達成したが、その裏で政党政治は崩壊した。そして、参謀本部と軍部の独走、これによる対外侵略と膨張の道へと進むことになる。
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