時代の変化に対応できない企業は倒産前に輝くといわれているが和田憲一郎の電動化新時代!(52)(2/3 ページ)

» 2024年08月20日 09時30分 公開

コダックもデジタル化を進めていたのに

 これはどういうことか。世界初のデジタルカメラは、コダックの開発担当者スティーブン・サッソン氏が1975年に発明した。しかし、コダック経営陣は商品化に消極的だった。その後、1990年代に入ると、当時の富士写真フイルム(現在の富士フイルムホールディングス)やカシオ計算機から次々とデジタルカメラが発表され、一気に火がついた。

 コダックは、最初はデジタルカメラの商品化に後れを取っていたものの、フィルム関係の工場を閉鎖して数多くの社員を解雇するとともに、その後デジタル化に多額の投資も行っている。その結果、2005年にはデジタルカメラの売上高で米国トップに立っている。

 富士写真フイルムとの違いは、コダックは、デジタル化とはデジタルカメラで撮った写真を紙に印刷することで収益を上げようとしたことである。つまり、コダックは、銀塩フィルムからデジタルカメラに変わっても、人々は写真を印刷して保存するだろうと考えた。実際に初期段階では、デジタルカメラを用いたプリンタのインクと、写真用紙から膨大な利益が上がるようになった。画像キャプチャー関連の技術で100件を超える特許も取得している。つまり、コダックは「デジタル印刷」がコアビジネスだと考えたのだ。

 しかし、デジタルカメラが携帯電話に搭載されるようにつれ、多くの人々は写真を印刷するのではなく、携帯電話や、タブレット、PCなどでやりとりするようになり、印刷する機会は大きく減少した。撮ったデータはSNSなどインターネットでも扱えるようになった。

 デジタルカメラの要素技術であるCCD(電荷結合素子)やフラッシュメモリも進化し、デジタル印刷をメインに据えたビジネスは急激に衰退していった。つまり、銀塩フィルムからデジタルカメラに変わった際に、記録媒体の違いのみに焦点を当ててしまい、デジタル化が他のイノベーションと連携し、それ自体の本質までも変質させてしまうことに気付かなかったことが真因ではないかと指摘されている。

図表1:コダック破綻の原因は

コダックの事例を自動車業界に当てはめてみると

 では、コダックの例を自動車業界に当てはめてみるとどうなるのだろうか。現在、カーボンニュートラル実現のため、エンジン車からEVに移行しようとしている時期にあたる。

 これに関して、エンジン車からEVへの移行はパワートレインの変化であり、パワートレインの要素技術(バッテリー、eAxleなど)に重点を置き開発すれば良いと考えてはいないだろうか。パワートレインの技術革新は重要であり、これらを積み重ねていくことは言うまでもない。しかし、これはデジタルカメラで言えば、カメラの精度向上や複眼化、液晶解像度の向上などにあたる。

 ここからはあくまで筆者の考えであるが、エンジン車からEVへの移行に関しては、考慮すべき2つの視点があると思われる。これはピーター・ファーディナンド・ドラッカー氏の著書でもある「すでに起こった未来」といえるのかもしれない。

図表2:エンジン車からEV移行時の別の視点

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