日本電産は2022年9月2日、オンラインで会見を開き、代表取締役 副会長 執行役員の小部博志氏が代表取締役社長 執行役員兼COOに就任すると発表した。9月3日付で就任した。前任の関潤氏は「業績悪化の責任をとる」(日本電産)との理由により9月2日付で辞任している。辞任は関氏本人の希望であるという。
日本電産は2022年9月2日、オンラインで会見を開き、代表取締役副会長執行役員の小部博志氏が代表取締役社長執行役員兼COOに就任すると発表した。9月3日付で就任した。前任の関潤氏は「業績悪化の責任をとる」(日本電産)との理由により9月2日付で辞任している。辞任は関氏本人の希望であるという。
小部氏が社長を務めるのは、日本電産 代表取締役会長兼CEOの永守重信氏の後継者選びが決着するまでと限定している。具体的には、2023年4月までに次期社長候補となる副社長5人を選出し、2024年4月までに社長を決める。副社長は「親子くらい年齢が違う人材」(永守氏)も視野にいれて選出する。
次期社長就任後は各事業部の本部長が“若い社長”を支えながら育てていく体制とし、永守氏と小部氏はフォローしながら徐々に退いていく方針だ。それまでは「創業者2人で責任を持って成長路線を維持しながら、(社外から社長が来たことで変わってしまった)企業文化と落ちた株価を戻して立派な会社にしていく」(永守氏)。
永守氏は10年間で200人の後継者候補に会ってきたことを振り返り、「外部にもっといい後継者がいるのではないかと“錯覚”していた。社員の方がはるかに優秀だったのに、外部から後継者を探し続けたのは重大なミスだった。他社で立派な業績があったからといって、日本電産で通用するかは別の話。外部から社長を迎えるのは、実績主義にも反していた。日本電産では一番もうける人が一番偉い。肩書だけで、前の会社の実績もはっきり分からない人を選んでしまってきたのは失敗だった。今後、社外からトップを迎えることは考えていない。もう外に求める(後継者の)人材はいないからだ。今後社外から(経営層に)人を招くとしても、社風や企業文化を数年かけて身につけてもらってから幹部に迎えることになるだろう」(永守氏)と会見で述べた。
社内から社長候補を選出することについては「苦労した人たちにふさわしい地位を与えていくことで、『自分たちも上に上がれる』ということを若い世代に伝えていきたい」と永守氏は言及した。
「部品メーカーとしては、中国を競争相手に速い時間軸で動く必要がある。中国企業は朝も夜も働き、より安いモノを求めている。1日でできることに1週間や10日もかけるような日本の大企業の時間軸では勝てない。日本電産が成長してきたのは、中国企業に負けないコスト競争力と時間軸があったからだ。社員は、このコスト競争力や時間軸に素早く対応してきて優秀だった。車載事業はプロパーの社員が育っており、自動車メーカー出身の中途社員もいるので、立て直しの人材に不足はない」(永守氏)
会見では、「三顧の礼で迎えた」(永守氏)という関氏に対する厳しい言葉が相次いだ。
関氏は、2019年12月1日に日産自動車 執行役副COOに就任した直後の同月25日に退社を発表して日本電産に入社した。このとき、日産は代表執行役社長兼CEOに就任した内田誠氏の下で再スタートを切ろうとしていた。
カルロス・ゴーン氏による不正や完成検査問題などを受けてガバナンスの再建と業績回復が急務となっていた中、当時の社長兼CEOだった西川廣人氏にも役員報酬に関連した不正が発覚して辞任。その後、短期間ではあるがトップ不在の期間を経て、内田氏が社長に就任した。関氏やCOOに就任したアシュワニ・グプタ氏で内田氏を支える三頭体制とする新たなスタートを切ってすぐ、関氏は日本電産に移った。
関氏は2020年6月の定時株主総会と取締役会を経て日本電産の代表取締役社長執行役員兼COOに就任。2021年6月にはCEOが永守氏から関氏に移ったが、2022年4月には永守氏がCEOに復帰した。永守氏は「2年ほどよく教育してから徐々に権限を移していく方がよかった」と振り返った。
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