ところで先ほどパラシュートの開傘高度を10kmと紹介したが、「あれ? 10kmだったっけ?」と気づいた人は鋭い。初号機では、これが5kmだったのだ。ちょっと細かい話ではあるが、なぜ変わったのか、ついでに補足しておこう。
実は初号機でも、当初は10kmにする計画だった。前編で説明したように、再突入カプセルはヒートシールド分離/パラシュート開傘の4秒後からビーコンを発信し、発見するための目印としている。開傘高度が高ければ、それだけビーコンを出している時間が長くなり、発見するのには有利というわけだ。
しかしその半面、開傘高度が高いと風に流されやすくなるというデメリットがある。基本的に高度はこの両者のトレードオフとなるのだが、初号機では、着陸の数カ月前に気象モデルを修正したところ、急に分散が大きくなってしまい、決められた区域をオーバーする可能性が生じてしまったという。
「可能性」と言っても、それは4Σの分散でギリギリはみ出る程度の小さな確率だったのだが、安全のための基準を勝手に変えるわけにはいかない。高度を下げたのは、分散を抑えるための対策だったのだ。ちなみに、はやぶさ2ではさらに改良した気象モデルを使い、予測精度が向上しているので、高度10kmでも大丈夫ということだ。
なお前述のように、高度10kmで開傘するためのカギとなるのが加速度センサーなのだが、初号機の当時、山田氏は最後までこの健全性に自信が持てなかったという。宇宙空間では、何Gもの大きさの加速度を受けることはないので、事前の検証が不可能だった他、トラブルにより帰還が3年も遅れたという事情もあった。
加速度センサーは結果的には問題なく作動したのだが、初号機では民生品が使われていたのに対し、はやぶさ2では米国国防総省の基準を満たすミルスペックの部品に変更された。これで、信頼性はさらに向上しているはずだ。
それでも、もしパラシュートが開かなかったらどうなってしまうのだろう。あまり考えたくないことではあるが、「非常時ケースとして想定はしている。グチャグチャに壊れて着火装置などの火工品すら取り出せないような最悪ケースのときの処理方法まで検討した」(山田氏)そうだ。
ただ、開傘に失敗したとしても、空気抵抗によって、落下速度は秒速50m程度にまで減速される見込み。初号機のヒートシールドが地面に激突した地点にも目立つクレーターはなかったことから、「激突を想定した試験は行っていないが、おそらく蓋が外れて中身が飛び出る程度で、そこまでグチャグチャにはならないのでは」(同氏)とのことだ。
もう1つの大きな改良は、「再突入飛行計測モジュール(REMM:Reentry flight Environment Measurement Module)」の追加である。この機能は初号機になかったもので、はやぶさ2が初搭載。追加した理由について、山田氏は「カプセル技術の継承と知見の充実のため」と述べる。
初号機のカプセルは、結果としてはパーフェクトだったものの、飛行中の挙動については一切不明だった。成功したので大体予想通りに飛んだのだろうと推測はできるものの、設計の妥当性を検証するためには、やはり実際の計測データとして確認したいところ。惑星間軌道からの再突入の機会は極めて少なく、実証するチャンスとして貴重だ。
REMMはそれを計測するための装置なのだが、初号機はロケット側に余力がなく、乾いた雑巾を絞るような、徹底した軽量化が行われた。ミッションの成功に必要不可欠な機能以外は搭載することが難しく、断念するしかなかった。
しかし、はやぶさ2の時代になると、エレクトロニクスがさらに進化。非常に軽量な計測システムが技術的に実現可能となり、ようやくREMMを搭載できるようになった。REMMの重量はわずか70g程度。これだけの軽さながら、3軸加速度、3軸角速度、温度といったデータの計測と保存が可能だ。
山田氏が特に気にしているのが、空気が薄い高高度での挙動だという。
再突入カプセルが正常に機能するためには、大前提として、前後の向きが正しくなっている必要がある。もし前後が逆さまの状態で再突入すれば、高熱に耐えられず、カプセルが壊れたり燃え尽きたりする恐れがあるのだ。
母船から分離する際、カプセルにロール回転を与えるのは、姿勢を安定させ、向きが変わるのを防ぐためだ(コマと同じ原理)。一方、再突入後は、空気抵抗によって徐々にロール回転は止まるが、カプセル形状による空力安定(風見鶏と同じ原理)が働くので、正しい姿勢を維持できる。
ただ気掛かりなのは、ロール回転がいつ止まるのか、ということだ。実は高高度の大気の状態は分からないことが多く、計算でも確実なことはいえないという。回転の停止が早いと、そこで姿勢が不安定になる恐れもある。「空力安定が十分効くまで回転が持続し、姿勢を維持できるよう設計しているが、実際のデータとして確認したい」(山田氏)というわけだ。
REMM内のフラッシュメモリに記録できる計測データは420秒(7分)だけ。容量を節約するため、再突入の直前から計測を開始する予定だ。分離時からの飛行データを全て保存できれば理想的ではあるのだが、真空中では運動は減衰せず変わらないはずなので、再突入直前のデータがあれば事実上問題はないと考えられる。
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