ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル(ニスモ)の柿元邦彦氏が、過去のカーレースの出来事を紹介しながら、最高のパフォーマンスを発揮して過酷な戦いを勝ち抜くための「天“知”人」や、人材育成について語った。
2017年7月6〜7日に都内で開催された、CAE・CFDカンファレンス「STAR Japanese Conference 2017」(主催:シーメンスPLMソフトウェア)でニッサン・モータースポーツ・インターナショナル(ニスモ)の柿元邦彦氏が登壇した。レーシングカー開発に約50年間携わってきた同氏だが、2004〜2015年の11年間はSUPER GT日産系チーム総監督を務め、全12戦中6勝、つまり勝率5割という実績を作り上げた人物だ。
今回、柿元氏が講演タイトルとして掲げたのは、「天・知・人」。過酷な自動車レースで勝つための3要素を同氏がまとめた言葉だ。これは孟子が言った、戦に勝つための3要素、「天時不如地利 地利不如人和」(天の時、地の利、人の和)を基にした考えだという。柿元氏の場合、「地」を「知」と言い換えていて、「天の時、“知”の利、人の和」(天“知”人)としている。知は、すなわち「技術」のことを示している。
柿元氏は、時間もコストも非常に限られる中で「勝ち続ける」という成果を出すため、不眠不休の悪戦苦闘を強いられるカーレースの世界が「まるでブラック企業のよう」と比喩する。約50年の間、厳しく過酷な戦いを経ながら、「天の時、知の利、人の和」という考えに至ったのだという。
自動車メーカーがなぜ、カーレースに参加するのか。その理由の1つが、「ブランド力向上」だ。カーレースを通して、「自社の車両がいかに高性能で素晴らしいか」を世界中にいる人にアピールしていく。それを「記憶に残る結果が求められる世界、つまり1番でなければ意味がない世界」と柿元氏は表現する。「1番になれなければ意味がない世界。オリンピックでも金メダルの選手が一番記憶に残り、銀メダルや銅メダルの選手は、自国の選手などでない限りは記憶に非常に残りづらい」(柿元氏)。
レースで一番を取るためには、「クルマを速くする技術」が必要であり、「クルマを速くする技術で肝になるのは空気」だと柿元氏は言う。まず、空気に含まれる酸素を燃やし、エンジンの馬力を出すこと、つまり「いかにエンジンにたくさんの空気(酸素)を取り込むかが大事」ということを挙げた。次が、「走行時の風圧をいかにいなすか」。速度の二乗で増えていく空気の圧力を減らしながら直線走行のスピードを上げる。さらにエアロパーツや床下形状を工夫して、車両が受ける空気の圧力を下向きに持ってきて(ダウンフォースを得て)コーナーを速く曲がる。さらには、走行により発生する余計な熱エネルギーを外に放出することだ。ブレーキングにより発生する熱や、エンジン燃焼に使われなかった熱をいかに外へ逃がすか。余計な熱を車内に溜めてしまえば、エンジンやブレーキなどでトラブルを起こす恐れが出てくる。「空気をいかに制するかが、レーシングカーを速くする技術である」(柿元氏)。
カーレースにおいては、多くの人々に“悪い記憶”を強く残す場合もある。柿元氏は、1999年のル・マン24時間レース(ル・マン)で3回も起きたという「メルセデス・ベンツ・CLR」の事故の例を挙げた。最初の事故では、CLRが下り坂になっていたコーナーを走行している際、車体のフロント部が突如ぶわっと浮き上がって、そのまま15mほど宙を飛んだ後に、落下した(エアボーン・クラッシュ)。「その時の最高速度は時速360kmくらいにまで達して、旅客機の離陸速度も超えていた」と柿元氏は説明する。原因は走行中に車両の床下に気流がどっと回り込んでしまったこと。つまり走行時の風圧をうまくいなせる空力設計になっていなかったというわけだ。ドライバーのマーク・ウェバー氏は負傷して病院に搬送はされたものの無事で、人としてもドライバーとしても生命を奪われることはなかった。しかしCLRの信頼性は損なわれ、メルセデス・ベンツはル・マンから撤退することになった。
この例では幸いにして人命が奪われることはなかったのだが、カーレースのドライバーの死亡事故は過去に幾度か起こっている。たとえ死亡することはなくても、半身不随といった生活に深刻な支障を来すほど負傷を追うこともある。カーレースは非常に危険な世界だ。「クルマを速くする技術」の前に、「ドライバーの安全確保の技術が第一」と柿元氏は述べる。「コックピットの強度を十分に確保する必要がある。中の人が衝撃を受けても、それを吸収できるほどに性能を高めなければならない(生存空間の確保および衝撃吸収性能)。併せて防火耐火性能も高めている」。
特に、守らなければならないのはドライバーの頭部(首)だ。「HANS」(Head and Neck Support)の登場により、「首を損傷する事故はだいぶ減っている」と柿元氏は述べていた。「例えば20Gの力でクラッシュすれば、25kgの頭が500kgの重みを持つことになる」(柿元氏)。車両が高速で衝突すると、強い慣性が働いてドライバーが前のめりになり、首が前方に伸びてしまう。それでハンドル部に頭を打ち付けたり、首を損傷してしまったりなどが起こり得る。HANSは、ヘルメットと首に巻いたサポーターを固定することで、衝突時にドライバーの首が伸びないように保護する仕組みだ。その他、ヘルメット、靴、手袋、スーツには全て耐火性能を備えるなど、さまざまな装備を用いてドライバーの安全を守っている。
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