職人をクリエイターに! 社員と一緒に自社ブランドの立ち上げに挑戦するイノベーションで戦う中小製造業の舞台裏(14)(2/3 ページ)

» 2017年07月14日 10時00分 公開
[松永弥生MONOist]

オリジナル製品に挑戦する社風

 田中文金属を創業したのは、田中氏の曽祖父だ。福井県から大阪に出てきて、火バサミや什能などの製造販売を始めた。数年後、家族を呼び寄せて創業したのが1919年だ。

 「100年続いていますけど、代々継承してきた技術や製品があるわけではないんです」と田中氏は言う。同社にあるのは「新しいモノを作りたい」という社風だ。2代目の祖父が無類の新しいモノ好きでチャレンジ精神旺盛だったことが理由になっている。

 祖父は、1964年に展示会でプラスチックの成形機を見てその展示品を購入し、大阪で初めてプラスチックのバケツを製品化したという。

 「他が作るようなモノは、作らない」という同社は、踏んでも割れないやわらかな樹脂のバケツを初めて製品化したり、計量・調合作業用にメモリを付けた農作業用計量バケツを製造したりしている。

業界シェアNo.1の農作業用バケツ。土壌改良や害虫駆除の作業の際に必ず実施する薬剤の計量や調合作業に便利。

 2代目のチャレンジ精神は、代々受け継がれてきた。1972年に販売を開始した蓋の中央を耐熱ガラスにした魚焼き器「ルックロースト」は、東南アジア・中東などに輸出するほどの大ヒット商品となった。

 当時は耐熱ガラスを蓋にした製品はなく、後追いで類似商品が多数出たという。

 ルックローストのパッケージにある「松」をあしらったロゴは、創業当時から使われている。松・竹・梅の最上位である松。「お客さまに最上のものを提供したい」という思いが込められている。

耐熱ガラス付フタで焼き具合が見えると好評の「ルックロースト」は大ヒット商品になった。

 田中氏は大学を卒業した後、IT企業に入社した。「入社2週間で退社を決意するようなブラック企業でした」と笑う。このまま辞めたら逃げることになるから、結果を出そうと決意。配属された営業部でトップセールスの成績をあげ、翌日に辞表を提出。「社員がやる気をなくす組織というのを知る経験になりました」と笑って振り返る。

 前職を半年で退職した後、中小企業診断士の資格を取得してから、田中文金属に入社した。

 1990年代半ば以降、日本の製造業は製造コストを下げるため、低賃金の莫大な労働力を求めて中国に進出した。しかし先代社長である父親は、その流れには乗らなかった。

 「中国で作り箱詰めされたものを、中も見ずに“松印”を付けて販売したくない。それは、うちの製品ではない」というのがその理由だ。

 「当時はそれが主流だったから、なぜ国内生産に拘るのか?」と先代に反発する思いもあったそうだ。

 けれど、同業他社から「中国で製造すると品質が一定しない」「トラブルが多い」「売り上げは上がるが利益がでない……」といった話を聞くにつれ、やはり自社のブランドを大事にするのが正解だと思うようになったという。

 納得できるモノづくりがしたい――そのために、田中氏が行った改革は「職人の若返り」だった。田中氏が入社した頃、職人は既に高齢化していた。「このままでは会社が継続できない」という危機感を持ち、15年くらいかけて職人の若返りを図ったそうだ。

 バブル以降、製造業は3K(危険、きつい、汚い)と呼ばれ働く若者が急減したが、田中氏は「モノづくりが好きな若い人はいる」とハローワークを通じ求人をし、徐々に若手社員を増やしてきた。

 若手を育てるときには、「何のためにそうするのか?」と目的を持たせることを意識しているとのことだ。

 例えば、同社の製品にはファミリーキャンプでマルチに使える缶ストーブがある。調理の準備や後片付けを子どもが手伝うこともあるだろう。「だから、子どもがケガをしないように、エッジの処理は丁寧にやろう」と伝える。単に「バリ取りは完璧に!」と指示するのではなく、ユーザーの存在を伝えることが自分で考えて1つ1つの工程をする職人を育ててきた。

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