日本の“オンリーワンなモノづくり技術”にフォーカスしていく連載の第12回。今回は、世界シェアトップクラスのラジコンヘリ技術を武器に「1人乗り有人ヘリコプター」という新市場へチャレンジするヒロボーを紹介する。
1人乗りドローンタクシーがドバイで試験開始、トヨタが「空飛ぶクルマ」の開発支援を表明など、SFの世界だけと思われていた“空飛ぶ乗り物”が現実のものになろうとしている。自動車以来のモビリティ革命と期待されている新市場――「大空」というブルーオーシャンに、Made in Japanでチャレンジしている中小企業が広島県にある。
ヒロボー(広島県府中市)は、ラジコン好きならその名前を知っている人も多いだろう。ラジコンヘリコプター(以下ラジコンヘリ)では世界シェアトップクラスで、ホビー用だけでなく農薬散布など産業用ヘリコプターでもその存在感を示している。
同社は1949年(昭和24年)に設立、元は広島紡績という社名で紡績業を営んでいた。地域唯一の紡績業だったが戦後の高度成長期に起きた構造不況によって紡績事業を断念、1970年に社名をヒロボーに変更して業態転換を図り、1972年からプラスチック製品の成形加工を行うプラスチック部門事業を開始。食品容器や工業部品、搬送用トレイなど幅広いプラスチック加工製品を手掛けており、現在の同社の売り上げの主力を担っている。
また1973年には大手電機メーカーの下請けとして、同社の漏電遮断器や無停電電源装置の設計・生産を行うヒロボー電機を設立。紡績業で創業した同社は従業員を数多く抱えていたが、同じように人の手を必要とするモノづくり事業にかじを切ったことで、従業員を解雇することなく業態転換をなし得たのだ。
同社事業企画室スカイ事業企画係長の片山康博氏は「紡績業は工員数が必要な業種で、特に女性が多かった。人は財産、なんとか社員を雇用を守りたいという当時の社長(松坂敬太郎氏、前会長)の考えの下、人の手作業を必要とする業種を、ということでモノづくり事業での業態転換にこだわった」と、同社の転機となった業態転換の経緯を語る。
業態転換で始めたプラスチック加工とエレクトロニクス機器組み立てという2つの新事業が軌道に乗り、構造不況で倒産寸前だった同社の経営も安定した。次の一手を探っていた前会長の松坂氏は紡績の構造不況の経験を元に、将来会社が生き残っていくため、メーカーとしての事業創出を決める。その対象として選んだものが、当時、誰もが「売れない」と言ったラジコンヘリだった。
当時(1970年代)のラジコンヘリは、価格が十数万円と高価なものだった。また自分で組み立てなくてはならず、操縦も難しかったため一部のマニア向けで市場自体も小さかった。同社は「操縦しやすい完成品を手頃な値段で」という方針(オンリーワン、ナンバーワン戦略)で製品を開発。1983年には5万円を切る完成品ラジコンヘリを市場に投入、年間5万台を販売する大ヒット製品となり、同社を「ラジコンヘリ世界シェアナンバーワン」の座へと一気に押し上げた。
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