コミュニケーションロボットの社会実装を考えたとき、一体、何が必要となるのだろうか。人と、人ではない機械とのコミュニケーションの形を探る。
第3次ロボットブームと呼ばれる中で、Pepperを始めとしたコミュニケーションロボットと呼ばれる製品が多数登場している。普通に暮らしている家庭でロボットが家族の一員になる、本当にそんな日も近いのだろうか?
今回、ロボティクスエンジニアの松村礼央氏(karakuri products 代表、東京大学先端研 特任研究員、博士(工学))に、自身が進めるプロジェクトについて、さらにはロボットと人との未来をどう考えるのか、話を伺った。
松村氏といえば、プロトタイピングツールキット「konashi」の企画・開発責任者としても知られているが、ロボティクスエンジニアとして数多くのロボット開発に携わってきた。そして現在、karakuri products、海内工業を中心に協賛企業である日本遠隔制御、ストラタシス・ジャパン、オートデスク、タスカケル、面白法人カヤックと共同で取り組んでいるのが、多脚ロボット研究開発プラットフォームだ。
コミュニケーションロボットの社会実装を考えたとき、さまざまな課題がある。まず解かなければならないのは、次の2つである。
加えて、そもそもロボットとは何か?という前提が必要かもしれない。お掃除ロボットはロボットといわれるが、同じ【家事の補助という目的を果たす機械】である食洗機や洗濯機はロボットではないのか。「基本的にロボットとは、特定の目的を制御でいかに達成するかを解く装置に帰着すると思う」と松村氏はいう。
ロボットという言葉がどうしても強く、本質が見えなくなっているとも言えるのだが、人が行う作業を機械による制御で代替する、という意味では食洗機も洗濯機もロボットだ。自分に代わって洗濯し、食器を洗う。ユーザー(消費者)は、代替してもらった作業のリウォード(対価)に応じて、その機能が欲しい(欲しくない)を判断することができる。
この観点からすると、自分の身のまわりにコミュニケーションロボットがいるというイメージが具体的になりにくいのは、その結果、何をリウォードとして受け取れるのか、それが曖昧だからだ。それでは、メカやガジェットを愛好するユーザーには受け入れられても、それ以上の層には広がらない。
松村氏が考えているのは、物語を再生する"装置"としてのロボットだ。
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