技術者であれば一度は聞いたことがあるかもしれない「モデルベース開発」という言葉。本連載では、主人公である電装部品メーカーの若手女性技術者・小野京子が、“燃費世界一”を目指すクルマの開発に関わる中で、モデルベース開発を一から学びつつ、技術者としても成長していく姿を描きます。京子の奮戦に乞うご期待!
京子って、あのかわいいクルマ作ったんだって!
そうそう、京子って、あのかわいいクルマ「バンビーナ」を作ったんだって! 知ってた?
居酒屋魚丸は、恒例の女子会でいつにも増して盛り上がっていた。
京子は友人達の問い掛けに謙遜しながら答える。
私は変速装置だけだよ。バンビーナに関わったのは。
バンビーナって燃費が世界一なんでしょ。ハイブリッドってすんごく難しそうだけどよく作れたわね〜。今では女性も大きな開発プロジェクトの中でバリバリ活躍するのが当たり前になっているんだよね。すごくない? ちょっとつぶやいてみよっかな〜。「京子がクルマつくってるらしいよ(@_@;)」なんてね〜。それじゃ簡単にクルマづくりを説明してよ!
え〜、簡単に?
京子は、この難題に何とか答えようと、バンビーナの開発を振り返ってみた。それは今から5年前、まだ入社して3年目のことだった――。
モデルベース開発――技術者であれば一度は聞いたことのある言葉かもしれません。開発の初期段階で製品の機能についての設計図やモデルを作成し、これを検証しながら進めていく開発手法のことです。
自動車業界をはじめ導入が進みつつありますが、モデルベース開発という技術の歴史はまだ浅く、これから手掛けようとされる技術者を教育/支援する体制がしっかり整備されているとは言えないのが現状です。モデルベース開発の活用によって国内産業の活性化を目指すJMAABとしては、この状況を危惧しています。
モデルベース開発に関する基本的な考え方や注意点などについて、可能な限り平易な言葉や表現で、モデルベース開発を使ってみたいと考えている方々に伝承したい――この思いを込めて執筆したのが、この連載小説「モデルベース開発奮戦ちう」です。
物語の主人公は、電装部品メーカーである三立精機に務める若手女性技術者・小野京子です。彼女が人間として技術者として成長していく過程の中で、モデルベース開発とは何なのか、この技術をどのように活用するのか、そしてどのようなメリットが得られるのか、さらには、目新しい技術を伝承することの難しさなどについて描きました。モデルベース開発のこと以外にも、技術者でなければ分からない日常業務にまつわる実体験や苦しみ、喜び、そして想い描く将来構想なども元ネタになっています。
文豪には程遠い、一介の技術者が集って執筆したものではありますが、これからモデルベース開発を手掛けようとされる方々の一助となれば幸いです。
なお、物語の中に出てくる名前、企業名、製品名は、JMAABとMathWorks、MathWorks製品を除き架空のものです。
(JMAAB/いまさら聞けないMBD編集委員会)
わが社はモデルベース開発で自動車業界の技術をけん引していく!
それは、大滝部長の力強い今年の抱負から始まった。
ここは、三立精機株式会社車載電装開発部。
総勢200名ほどの、社内で売り上げの中核をなす開発専門部である。
ここでは、新年の朝礼で行われる、大滝部長のスローガン宣言からその1年が始まる。
わが社にとって初の試みだから、きっと驚いたと思う。モデルベース開発は、コンピュータシミュレーションを使って自動車を開発する新しい技術である。私は、この技術を社内で確立し、よりよい商品開発を目指したいと考えている。その推進のために、シミュレーションを扱う技術者を集めた“モデルベース開発課”を新設することにした。直近の最優先開発目標は、2年後の市場投入が予定されている豊産自動車の次期ハイブリッド車に、当社の最新技術「CVT∞」を搭載することだ。たったの2年間で、新商品に新技術を組み込むという困難な開発目標ではあるが、そのためには最初の半年間で試作を完了させる必要がある。この新機能の制御システム開発は山田君に担当してもらう。では解散!
私の名前は小野京子。
入社して以来、山田課長の指導のもと、自動車用変速装置の制御開発を担当しているエンジニア。27歳。
そして山田課長は、昨年女性初の技術管理職に昇格された方で、普段はとても優しいけれども、仕事では妥協を許さない、私が目標とする上司である。
私が勤める三立精機は、自動車メーカーに部品を開発・供給する企業で、業界内ではティア1サプライヤと呼ばれている。主力製品はCVT(無段変速機)という自動車用変速装置で、主な供給先は豊産自動車だ。
CVTは、変速比を電子制御で自由に変えられるので、パワフルな走りや、燃費の良い走りといったさまざまな“走りのデザイン”を実現できる。近年の自動車は燃費性能を著しく改善しているが、その原動力となった技術の1つである。
しかし、CVTを製品化するには、自動車の電子制御装置(ECU)に、さまざまな難しい計算をさせながら、絶対に誤動作を起こさない機能も実現させる技術が必要になる。さらに、機能性・安全性に関する厳しい評価項目もあり、それらの基準を1つずつクリアしていく必要がある。自動車に組み込んで、エンジンなどの他の部品と連携して、自動車メーカーの狙い通りにきちんと動作するようなものでなければならないのだ。
われわれのようなティア1サプライヤが製品開発を行う場合、顧客や製品種類ごとにプロジェクトを立ち上げる。大滝部長が話していた、「豊産自動車の次期ハイブリッド車に搭載するCVT∞」の場合、開発規模はかなり大きい。「新機能の制御システム開発」に関わる技術者だけでも、プロジェクトリーダーの山田課長以下、「新機能の制御システム開発」の取りまとめを行うチームリーダーの大島涼さん、ちょっとニヒルな五十嵐さんなど合計10名に上る。
社内でも名の通っている大島さんが入っていることからも、モデルベース開発の確立を使命とするこのプロジェクトに力が入っているのがよく分かる。光栄なことに私も、その大島さんと一緒に、重要なミッションに取り組む機会が与えられたというわけだ。
プロジェクトの目標となる“豊産自動車の次期ハイブリッド車”については、朝礼後のプロジェクト会議で明らかになった。排気量1000ccエンジンを搭載し、燃費世界一となる40km/lをクリアする低価格のハイブリッド車「バンビーナ」。女性をターゲットユーザーに、誰もがうらやむ美しさと、お財布への優しさをかねつつも、サンバのリズムのような情熱的な動きと大容量収納スペースを実現するバンビーナの開発コンセプトは、「リオのカーニバル」である。
確かに、当社の誇るCVT∞であれば、小型化が容易だし、CVTの最大の課題である伝達効率の低さも解決できるので、豊産自動車の要求を満足できるはずだ。CVT∞の最大の武器は、超小型電動オイルポンプである。小型化したことでクラッチ圧の直接制御が可能になり、ギヤ比の変更と変速機構に用いる油圧をそれぞれ独立して制御することもできる。自由度は今までの電動オイルポンプの比ではない。
その引き換えに、油圧を制御するシステムは一新された。つまり、CVT∞の超小型電動オイルポンプは、従来と根本から異なるのだ。そんなものを短期間で開発できるのか、とても不安だ。さらに、自動車に組み込むために満たすべき仕様と要求について、シミュレーションで検証できるようにして欲しいという条件も加わっているらしい。
シミュレーションを使うんだったら、意外とうまくいくかもよ?
大島さんの発言が、開発目標の困難さの前に誰もが黙りこくってしまい、静寂が支配していた会議の雰囲気を一蹴した。
山田課長もシミュレーションの活用が必要になると考えていたらしく、チームのメンバーに指示を出す。
そうね、シミュレーションにかけてみるのも面白いかもね。その前に、モデルベース開発というものをしっかり把握しないと。五十嵐君は、前の部署でシミュレーションを使った開発をしていたはずよね。今回の開発で、どういった技術的な要求や要件が必要になるのか、使用するツールと併せて調べて報告してくれる? もちろん京子ちゃんも一緒にね。私も協力するからしっかり勉強してちょうだい。
こうして新年早々、私とモデルベース開発との格闘が始まったのである。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.