スマートフォン分野で成功しているかに見えるAppleやSamsung Electronicsも、他分野のエレクトロニクス製品に消費者を循環させることに苦戦している。二次体験、三次体験といった次のステップでより優れた品質を提供するためには、どうしても汎用製品ではカバーし切れない領域に踏み込まなければならない。こうした状況に対し、果敢に挑戦しているのがソニーだ。彼らの取り組みは“スマートデバイス時代のサバイバル術”として注目に値する。
今回は少し昔話から始めたい。筆者が『これからスマートフォンが起こすこと。』という本の執筆に取り掛かったのは、2011年2月のことだ。予定よりも執筆が遅れていたことに加え、東日本大震災の影響で紙不足に見舞われて出版が後ろにズレ込んでしまったことをよく覚えている。
あれから2年と少しの時間が経過したが、この本に付けられた「携帯電話がなくなる!」「パソコンは消える!」というサブタイトルが、いまさらながらに現在の状況を示しているようで自分でも驚いている。
実はこのサブタイトルは、週刊東洋経済の編集長を務めたことのある編集担当が付けてくれたものだった。筆者としては、携帯電話とパソコン、どちらの業界のこともよく知っているだけに、本書の中ではそのものズバリ「なくなる」とは書けず、「存在感が失われる」あるいは「製品の位置付けが変化していく」といった言葉を慎重に選び、表現したつもりだった。だが、編集担当はそのものズバリをサブタイトルに持ってきた。そう、表現こそ直接的ではないまでも、本文の中で、携帯電話とパソコンの2つの製品が「なくなる」ことを示していたことに変わりはなかったからだ。
この本の出版後、インテルの社内向けセミナーで講演を行ったことがあったが、インテルの営業担当から「コンシューマ製品としてのパソコンはこれからどうなるのか?」と尋ねられ、いまいちフォーカスの定まらない回答をしてしまった。もっとも、さらに考えが整理されてきた現在は、もう少し的確に“今、感じていること”を説明できると思う。
くだんの本を書くきっかけとなったのは、もちろん「iPhone」登場以降の“スマートフォンの隆盛”があるわけだが、もっと本質的な理由としては「デジタル製品の品種が減少していたこと」が挙げられる。これまで、目的ごとに最適化して開発されてきた機器が、さまざまな形で“汎用”のデジタル機器に飲み込まれていったのだ。
こうした品種の減少は、何もスマートフォン時代だけに限った話ではない。コンピュータが家庭の中で使われるようになって以来、ずっと継続的に起きていたことである。ただし、かつては、現在ほどのスピードでものごとは動いていなかった。ゆっくりとした速度だったが故に、あまり意識することがなかっただけなのだ。
“パソコン”。すなわち個人が使うコンピュータが普及することで、コンピュータ上で実現できる機能はパソコン内に取り込まれるようになっていった。典型的な例は、ワードプロセッサ(ワープロ)だろう。パソコンの性能が高まり、ネットワーク接続機能が標準的に備わり、インターネットが急速に普及したことによって、パソコンの応用範囲がさらに広がり始めると、今度は新しいデジタル製品のトレンドがパソコンを起点に始まるようになった。
プログラムを書けば、それだけで機能を実現でき、さらに拡張ハードウェアを組み合わせることで応用範囲が広がった。今や“デジタル家電”の代表ともいえるデジタル放送対応テレビ、デジタル録画機能、全番組録画、ネットワークを通じたコンテンツシェアリングなどは、全てパソコンが発信源だった。
プログラムを追加することで、あるいはネットワークサービスと組み合わせることで、多様な機能を取り込み、デジタル化し、それまでになかったような機能を追加する。これは汎用コンピュータならではの特徴だった。
しかし、そんなパソコンの勢いにも陰りが見え始め、スマートフォンに注目が集まり始めた。処理能力は低くとも「常にインターネットに接続されている」「常に携行できるサイズと軽さを実現している」「キー操作しなくとも、画面にタッチするだけで簡単に情報を取得できる」といった、パソコンにはない特徴を備えていたことで、クラウドのパワーを引き出すフロントエンドツールとして一躍注目の的となった。もちろん、パソコンもそうした要素を急速にキャッチアップしてきたが、いまだにスマートフォンの域に達していない。
このように書くと、必ずと言っていいほど「パソコンの方が優れた点があり、それは決して代替できるものではない!」という反論を受ける。その点は、筆者も同感だ。スマートフォン、あるいはその派生品ともいえるタブレット端末は、さまざまな機器の機能を有しているかのように見えるが、その全てを取り込んでいるわけではない。
スマートフォンの性能がいくら高くなっても、専用ゲーム機ほど快適にゲームを楽しむことはできない。利便性が高いからといって、専用音楽プレーヤーほど高音質は望めない。それは、ボイスレコーダ、カメラ、カムコーダ機能も同じであり、電話としての使い勝手すらも従来型の携帯電話機に及ばない点は多い。そういった意味では、従来型の専用機器の必要性は十分にあるように思えるが、スマートフォンの台頭により、それらの市場がまるでなくなってしまったかのように感じてしまう。
ここで少し歴史をさかのぼって、エレクトロニクス産業が栄えた背景について考えてみよう。
エレクトロニクス産業といっても、「アナログ時代」と「デジタル時代」とで細かな背景は異なる。しかし、エレクトロニクスの力でライフスタイルを豊かにする製品を生み出してきた産業という点では一貫している。どんな応用分野も開発が進んでくるとユーザーニーズは多様化し、これらのニーズに応えられるようなハイエンドから普及価格帯までの製品によるピラミッドを構成するようになる。
エレクトロニクス産業の歴史は、エレクトロニクスを応用した“新たな商品カテゴリを生み出してきた歴史”でもあった。多くの製品カテゴリにおいて、ブランド力を持つことは、それだけ新たな商品カテゴリ、アプリケーションを生み出してきた証でもあったと思う。
しかし、パソコンがワープロ専用機を駆逐したように、汎用コンピュータは商品カテゴリそのものを駆逐するパワーがある。それは最も身近な汎用コンピュータであるスマートフォンも同じだ。エレクトロニクス産業が生み出したさまざまな発明品。それらが生み出した市場環境における“ピラミッド”の底辺を支えるユーザー層が瓦解していけば、市場全体を支えるだけのキャッシュフローが得られなくなり、投資サイクルをマイナス方向に導いて“衰退への道”をまっしぐらに進むことになる。
エレクトロニクス製品を買わなくなった人たちは、モノを欲しがらなくなったわけではない。必要なもの、欲しいものは変わらないのだ。ただ、普及価格帯のエレクトロニクス製品を買わなくなった消費者は、いろいろな機能を備えた各種製品を買いそろえるのではなく、お気に入りのアプリと端末さえあれば、目的が達成できることをスマートフォンを通じて知ってしまっただけだ。
さらに、エレクトロニクス産業においてダメージが大きいのは、新たなアプリケーションが生まれてくる基盤がスマートフォンになってきていることだ。若く資金力のない起業家でも、アプリを1つ作るだけで、あるいはちょっとした付加デバイスとアプリの組み合わせだけで、新たな用途提案ができるようになり、エレクトロニクスメーカーが新しいユーザーピラミッドを築きづらくなってきている。
ちょうどマルチメディアパソコン全盛の折、家電のデジタル化が進む前夜に、新しいアプリケーションのイネーブラーとしてパソコンが大きな役割を果たしていた頃と同じように、新たなトレンドがエレクトロニクスメーカーから生まれなくなっていた。
これでは、エレクトロニクス製品による“原体験”を若い世代に提供できなくなり、より高品位な体験へと導く動線をメーカー自身が作れなくなる。ピラミッドの底辺から順に瓦解していき、ピラミッドが支えられなくなるだけでなく、新しくエレクトロニクスに興味を持つユーザーの入り口、エントランスがなくなってしまうのだ。
こうして、エレクトロニクス製品のピラミッドから離脱した消費者たちはスマートフォンに流れ込み、その多くを受け止めているのが、Apple(アップル)とSamsung Electronics(サムスン)といえる。
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