オフショア開発は、海外(外国人)に発注するから難しいのではなく、他人に発注するから難しい――。新シリーズでは、「オフショア開発とコミュニケーション問題」を取り上げる。今回は異文化を体得するプロセス、すなわち「異文化受容」について解説する。
ソフトウェア開発で、最も人件費が高いのは米国と日本です(日本では1人月100万円、米国では1人月1万ドルといわれています)。生産性の改善には限度がある、というより、この40年間で生産性はほとんど上がっていません。ソフトウェア工学による生産性向上策に絶望した企業が、“特効薬”として飛び付くのが、インドや中国をはじめとした海外に発注する「オフショア開発」です(インドや中国であれば、日本の数分の1のコストで、高度な技術を保有するソフトウェア技術者を雇用できます)。
オフショア開発の成否を分ける最大のポイントは何か。それは、異文化コミュニケーションの問題を解決することにあります。そこで、本シリーズでは「オフショア開発とコミュニケーション問題」を取り上げます。
オフショア開発を経験した人がまず痛感するのは、“コミュニケーションの難しさ”です。取引先が外国人の場合、なかなか自国(日本)の開発プロセスを理解してもらえません。例えるなら、隣の家の住人や結婚相手の家族との関係みたいなものでしょうか。「同じ人間だし、付き合っていくうちに分かり合えるはず……」と思いながらも、多くの場合「何かが根本的に違う……」と自問する日々を過ごすことになるでしょう。
シリーズ第3回となる今回は、異文化を体得するプロセス、すなわち、「異文化受容」について解説します。
「オフショア開発とご近所付き合い」シリーズ: | |
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⇒ | 第1回:日本と外国との“文化の違い”を“数値”で把握 |
⇒ | 第2回:行間を読む文化(日本語) vs. 読まない文化(英語) |
オフショア開発では、海外の技術者と実際に顔を突き合わせて開発する機会が急増します。オフショア開発に真剣に取り組む日本企業では、試行錯誤の末、“ブリッジエンジニア”を置くケースが増えています。例えば、インドに海外発注する場合、日本側の開発本拠地である東京オフィスにインド人スタッフを1人常駐させ、バンガロールにあるインドの実働部隊に日本人技術者を常駐させることも珍しくありません。また、現地技術者が仕様の打ち合わせで来日したり、日本のプロジェクトの一員として東京オフィスのプロジェクトに参画し開発したりする事例もよく見掛けます。もちろん、逆に日本人スタッフが現地に赴くことも少なくありません。
筆者自身、ソフトウェア開発で合計9年間の滞米経験を持ちます。その経験からもよく理解していますが、海外赴任してすぐに異文化を受け入れ、そこに溶け込むことは困難です。実際、筆者が関わったプロジェクトでも、日米両国の技術者が大きなカルチャーショックやストレスを感じ、精神的に大きな打撃を受けた例を数多く見てきました。
異文化障壁、あるいは外国人との意思疎通ができない原因の1つとして考えられるのが、「欧米人はYES/NOをはっきり主張するが、日本人はその答えを曖昧(あいまい)にする」点だと思います。
その例として、シリコンバレーで働く、米国人のプロジェクトマネジャーと、日本人の技術者が昼飯を食べに行くシーンを考えてみましょう。
米国人プロジェクトマネジャー(以下、米管理者):今日はおごってあげるから食事に行かないか?[Why don't we eat out today? Let me buy you a lunch,OK?]
日本人の技術者(以下、日技術者):ありがとうございます。ぜひ行きましょう[That sounds great.Thank you very much,sir.]
米管理者:何か食べたいものある? [Well,what would you like to eat today?]
日技術者:何でも構いません[Ahm……,anything is OK for me.]
米管理者:うーん、じゃあ、寿司(すし)バーかイタリアンレストランのどっちがいい? [Well,then,would you like a Sushi bar or an Italian restaurant?]
日技術者:どちらでもいいですよ(本当に、どっちでもいいと思っている)[Seriously,either one is just OK to me.]
米管理者:(ちょっとムッとして)どっちかを選びなさい[Pick up which you prefer.]
日技術者:(機嫌を損ねたのかもしれないなぁ……)分かりました。では、寿司バーにしましょう[Well,I would like a Sushi bar,please.]
欧米人とのやりとりの中で、幾つかの選択肢から1つを選ばねばならない場合、1つをはっきりと選択しないのは、相手の好意を無にする行為であり、極めて失礼です。一方、日本人同士でのやりとりで「私は寿司を食いたい!」と明確に主張することは、相手の意思を無視する行為であり、礼を失していると考えられてしまいます。特に、相手が目上の場合、自分の意見をはっきりと主張することは「出過ぎたマネ」であり、「はしたない」との思いがあります。その結果、相手に下駄(げた)を預ける「どちらでもいい」という日本的な回答になるのです。
「どちらでもいい」「何でもいい」は、「そちらが目上ですから、何を選択していただいても構いません。どうぞ、そちらでご自由にお選びください。それに従います」という尊敬の気持ちの発露といえます。日本人同士であれば、この「奥ゆかしさ」や「謙虚さ」は、“阿吽(あうん)の呼吸”で無意識のうちに伝わりますが(というより、この謙虚さを相手に伝えねばならない状況が多くありますが)、こんな“内なるグニャグニャ問答”は外国人には一切通じません。ただし、この状況が発生した場所が日本国内であれば、全て日本流で進めるのが基本なので、この謙虚さが通じないのは、相手の落ち度となります(海外で発生した場合は、はっきり弁明しないこちら側の落ち度になります)。
「郷に入っては郷に従え」という“ことわざ”のように、海外でのやりとりはその国の慣例に合わせるべきであると筆者は考えます(日本で起きたことなら日本流、海外なら現地流で進めるべき)。自社の開発プロセスを現地の海外他社に無理やり押し付けることは好ましくありませんし、強制してもその通りにやってくれません。また、契約でそうすべきだと縛り付けても、うわべは日本式を採用しているように見せ掛けますが、“その心”を理解していないため、効果は全く期待できません(補足1)。
ちなみに、この章のタイトル「日本では『OK』でも外国では『NG』……」の「NG」という言葉は、海外では全く通じません。「NG」は和製英語です。「これは、NGですね(This is NG,I guess.)」と英語で言うと、相手は必ず「NGとは一体なんだ?(What the hell do you mean by NG?)」と聞き返してきます。「『No Good』の意味だ(NG stands for No Good.)」と説明してようやく分かってもらえます(ただし、「日本の方言」として理解するだけですが)。この「NG」のように「自国流は、自国では通用するが、海外ではダメ」であることを十分に理解すべきです。
補足1:かつて筆者が、シリコンバレーでソフトウェア開発をしていたときの話ですが、日本式の品質制御方式(コーディングが終了したら、テスト項目を設計してドキュメント化し、それを机上デバッグとマシンデバッグで消化する“ごく普通”のデバッグ手法)に従ってデバッグするように依頼したのですが、ある米国人技術者は、「そんな当たり前のテスト項目をわざわざドキュメント化するなんて、中学生じゃあるまいしレベルが低過ぎる。時間のムダだ。オレは、高度なテスト項目を頭の中で考えられる。それを実行すればバグを完全にたたき出せるんだ。オレは今までそのようにやってきた!」と言い張って、私たち発注側の指示を無視してデバッグし、バグだらけのプログラムを納入してきました……。
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