橋爪氏は学校を卒業後、派遣社員という立場故に、幾つかのメーカーを経験することになった。モノづくりで生き残る道は、設計やデザインだと考えていた橋爪氏は、そのための修業ということで、設計から生産まで、技術や業務を意欲的に経験していった。自分の任された業務以外にも、少しでも気になったことは、自分からどんどん首を突っ込んで挑戦していった。
地元の大手メーカーを渡り歩き、途中で正社員登用もされつつ、外装設計や製品設計を10年ほど経験。その頃は、「金型の現場の人と話がかみ合わない」「一体、何のためのモノづくりなのか」と、設計という仕事に疑問を感じていたという。
そんなことを悩んでいた矢先、ある射出成型メーカーから、「高級自動車の成形・塗装レーザーのラインの立ち上げを手伝ってほしい。設計が分かる人の手が必要」と声が掛かった。「全く何もないところから立ち上げるという話を聞いて、『それは楽しい!』と思って、すぐに手を上げて行きました。成形から塗装、機械の選定、ライン作りなど全て自分が携わりました」(橋爪氏)。
生産ラインを立ち上げた後も、そこにCADを持ち込んで監督をしながら、作業者が何か困っていれば、その原因を追究し、必要な治具を設計して手配するようにしていた。ちょっとした工夫だけで不良がパタリと止むのを度々経験したり、そうした活動で現場の人が喜んでくれる顔を見たりしているうちに、「モノづくりとは、こういうことではないのか!」と、設計の面白さを再認識したという。「もう面白くて面白くて、ちょっとした治具や検査台など、作りまくりましたね」(橋爪氏)。
契約期間2年のうち約1年でライン立ち上げが済んでしまったことから、業務に少し余裕が出てきたので、そこで本格的に金型・成形技術の勉強を始めたという。まずは金型メンテナンスに携わり、研修もメーカーで受けさせてもらうことに。その後は成形の実務も経験し、プラスチック成形技能士の資格も取得した。
成型メーカーでの契約終了後は、アミューズメント機器メーカーで設計に携わることになった。そこでは、設計の面白さをかみしめながらも、サーフェスモデリングまみれの毎日を送る。
残念なことに、勤めて2年でそのメーカーは解散することに。その後も、1人だけで、メーカーでもともと受けていた業務を引き続きやってきた。そのとき、「長野でやっていては生き残れない」と人から言われ、くやしい思いもあって、長野県内の仲間を集め自分で起業をしようと思い立ったという。
そこで実家のスワニ―を継ぐ形で、設計業をスタートした。その当初は、業務状況の不安定さから、立ち上げメンバーは次々と辞めてしまったという。一時期、1人きりになり、「受けた仕事もこなせない」と途方に暮れていたとき、知り合いのコンサルティング会社であるプロノハーツ(長野県塩尻市)から人材を緊急に派遣してもらうことで、なんとか事業をつないだこともあった。幸い、そこからは安定して仕事が入ってくるようになり、順調にスタッフも増えていった。プロノハーツとの協業体制も継続中とのことだ。
橋爪氏がこれまで経験したこと全てが、今日のスワニ―の経営や作業で生きている。
30代の若手スタッフが中心で、橋爪氏も36歳(記事公開時点)と、経営者としては若手の部類だろう。同社では若手を積極的に採用してきたが、その対象が経験者とは限らないようだ。
設計者やデザイナーのような専門職の求人は、経験者が優遇される。確かに、スワニ―でも経験者を募っているが、必ずしも優遇というわけでもない。設計の経験が全くなかった、あるいはCADオペレーションの経験しかなかったにもかかわらず、現在は機構設計や意匠デザインに意欲的に取り組むスタッフもいる。要は、やる気次第というわけだ。
クレイモデラーでは3次元CADのように幾何概念を意識する必要がなく、彫刻を掘るように作業ができるため、慣れれば(センスさえあれば?)すぐに3次元データが作成可能だ。
これまで製品開発に携わったことが一切なく、3次元CADやCGも一切使ったことがなかったスタッフも、クレイモデラーを使い始めて2日程度で3次元データをひとまず作れるようになったとか。“売れる商品”を発想するには、経験者故の思い込みのない“まっさらな”感性も必要となる。こうしたモノづくり未経験だった人材が、思わぬ化学反応を起こしてくれることが期待できるだろう。
3次元モデルを基に3次元プリンタで出力された造形物は、スタッフ全員で形状の確認をしたり、客先確認に利用したりなどに使われる。
造形機は、教師でもあると橋爪氏は語る。新人には、どんどん造形させ、どんどん失敗させる。材料費は当然、その分取られていく。しかし経験をどんどん積んでいけば、使う材料もどんどん減っていく。そのようにして、一昔前は何年もかけて経験したことが、数カ月もあれば経験できる。とにかく早く成長して戦力になってもらうことが、スワニ―にとっての大きな価値であると橋爪氏は考えている。
そこに、3次元プリンタだけではなく、切削機もあることがその大きなポイント。部品加工の代表格ともいえる切削は、加工という作業を実感するにはうってつけだ。「経験は力なり」。“自ら体験をすること”でモノづくりを学んできた同氏らしい考えだ。
橋爪氏は、自分1人だけの状態から、約1年かけてスワニーをスタッフ10人の企業にまで何とか成長させた。順風満帆というわけではなく、いまも苦労が多いという。現在の橋爪氏は、“寝る間も惜しむ”状態で、土日もなく事業を回している。スタッフたちも、朝早くから深夜まで働いている。当日では業務にケリがつかず、床に寝袋で眠る日もあるとか。
しかし、顧客の要望にしっかり応え、継続して仕事をもらうためには、朝から深夜まで受け入れ可能な体制は必須であると橋爪氏は話す。顧客が仕事を依頼してくるのは、大抵午後の遅い時間で、しかも希望納期は「明朝まで」など差し迫っていることが多い。
とはいえ、常にそのような状態では、スタッフの健康上の問題も心配だ。
「生産現場には2交代制があって、夜勤があります。でも設計現場には、なぜかないんですね。設計現場にあってもいいとずっと思っていたんですけど」(橋爪氏)。
スワニ―では設計スタッフの2交代制をすぐにでも実現したいという。しかし残念ながら、深夜勤務を望むスタッフが、いまのところいないとのことだ。
先述の“自社企画モノ”の立ち上げでも、自社でコントロールできる事業の比率を増やすことでスタッフの作業負荷を減らしていくことも狙う。それはあくまで、楽しく。
「経営はいまもいっぱいいっぱいですけど、遊んでいかないとね!(笑)」(橋爪氏)。
橋爪氏やスワニ―のスタッフたちには「仕事がつらくてつらくて仕方がない……」といった悲壮感はみじんもなく、「仕事が面白いから、ついつい長い時間になっちゃう!」といった陽気さと力強さに満ちていた。
それは、今日の経済不況下で多くの日本メーカーから失われてしまった空気だ。今回紹介した、スワニーのワークスタイルの中に、メーカーを再び活気つかせるヒントがあるのではないかと記者は思う。そして今後の同社が、どんな自社製品・サービスを生み出し、成長していくか、非常に楽しみだ。
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