Dan Hofstadter氏は、日産自動車(以下、日産)の電気自動車(EV)「リーフ」の購入予約金である99米ドルを支払うかどうか、数週間にわたって考えたという(写真1)。アリゾナ州ツーソンで設計解析コンサルタントとして働くHofstadter氏は、リーフの走行距離、サイズ、価格、信頼性、そして排気ガスが一切出ないことなど、あらゆる点について事前に確かめたいと考えた。「私は、普通の人よりも環境への影響を気にするほうだが、それでも環境のためにわざわざ不便な車を買うほどではない」(Hofstadter氏)。
Hofstadter氏のような人がほかにも多くいることは確かだ。2010年4月末に日産が北米市場におけるリーフの予約受付を開始すると、納車は同年12月になるというスケジュールにもかかわらず、数日間のうちに6600人以上もの人々が予約金を支払った。業界の観測筋は、これほどの予約が集まるのは、EVの魅力が、コストを度外視する環境保護活動家だけではなく、Hofstadter氏のような人々にも浸透し始めているからだと見ている。そして、それこそが日産の狙いでもある。
日産の常務で技術開発を統括する篠原稔氏は、「リーフを買ってもらうには、経済的な合理性がなければならない。消費者は、従来の車と比べて納得ができる価格でなければ購入しない」と語る。また、同社は、リーフの経済性は、すでにそのレベルに達していると考えているようだ。
約10年前、多くの自動車メーカーがEVの事業で失敗した。「アルトラEV」を米国市場に投入した日産も、そのうちの1社である(写真2)。そうしたEVの失敗原因は1つに集約することができる。それは、高性能の2次電池が存在しなかったことだ。
1990年代、多くの自動車メーカーが、EV用2次電池の研究を行う中で、さまざまな技術を試した。亜鉛空気電池、リチウム(Li)硫黄電池、亜鉛ニッケル酸化物電池、ナトリウム硫黄電池、ニッケル水素電池、Liポリマー電池、Liイオン電池などが候補に挙がった。中でもニッケル水素電池とLiイオン電池は、エネルギー密度の高さから有望であるとされた。しかし、高コストであることが課題だった。一方、鉛2次電池は、車載で利用されてきた長い歴史がある上に価格も安かったが、ニッケル水素電池やLiイオン電池と比べてエネルギー密度が低過ぎた。
高エネルギー密度の2次電池は、Liイオン電池に代表されるように、コスト面で問題を抱えるものが多い。価格の見積りは自動車メーカーによって大きな差があるが、最も楽観的なメーカーでも、現在のLiイオン電池の価格は、電池セル単体で見て1kWh当たり500米ドルとしている。さらに、冷却のための構造部品や充放電の制御装置を加えた2次電池パック全体で見ると、1kWh当たり700米ドル近くになる。しかし、これはあくまでも楽観的な見積もりであり、中には実際のコストが1kWh当たり900米ドル近くになると見る専門家もいる。
このように2次電池が高価であることは、自動車メーカーにとって頭痛の種となっている。大部分のメーカーは、EVの潜在的な市場が存在することは確信している。しかし、EVに40kWhクラスの大容量2次電池パックを搭載するには、3万米ドルもの費用がかかる可能性があるのだ。当たり前だが、車体価格には、2次電池以外の部分のコストも加算しなければならない。その結果、EVは、一般的な労働者の購入の選択肢から外れることになる。彼らには2台目のマイカーに4万米ドルを払うほどの余裕はないし、走行距離が100マイル(約160km)程度のEVを生活の中心に置こうとも思わないのである。
しかし、日産は現状を打破するために、EV市場に再び参入することを決めた。同社は、いつこのことを社内で決定したかは特定できないとしているが、一般顧客向けにEV市場への再参入を明らかにしたのは、2008年11月の『ロサンゼルスモーターショー』が初めてだ。このとき、同社CEOのカルロス・ゴーン(Carlos Ghosn)氏は、二酸化炭素を排出しないゼロエミッション車の構想について、「人口1000人当たりの自動車の保有台数は米国が800台であるのに対し、中国では50台だ。もし中国の保有率が米国と同じレベルになれば、地球がもう1つ必要になるだろう」と語った。
日産によれば、このゴーン氏の発言の4年前には、同社内でEVの開発に関する決定がなされていた可能性があるという。当時、日産の技術者は、EV用のLiイオン電池の開発について十分な経験を積んでおり、将来に向けての手応えも感じていた。出力密度とエネルギー密度が向上したことにより、コストも低減できる目処が立っていたからだ。篠原氏は、「Liイオン電池のプロジェクトには非常に多くの技術者が携わっていた。エンジン設計以外の単一の技術課題を対象としたプロジェクトとしては、過去最大の規模だった」と語る。
このプロジェクトでは、日産がアルトラEVで不慣れなEVの開発に挑戦したときに学んだ教訓が生かされた。同社は、アルトラEVに、懐中電灯などに用いられるLiイオン電池セルを数千本も搭載していた。そのセルは、直径18mm×高さ65mm(18650サイズ)と単3電池よりかなり大きなもので、正極にコバルト系の材料が使用されていた。
2002年から2003年にかけて、日産は、新しいLiイオン電池の設計に取り組んだ。そして、18650サイズの電池セルに替えてラミネート構造の電池セルを採用することにより、電池セルをモジュール化する際の体積効率を向上させた。円筒形の電池を用いる場合、電池の間にすき間が残るが、平らなラミネート型の電池セルは、すき間なく積層することが可能だからである(写真3)。さらに、正極に用いていたコバルト系材料に替えて、充電時でも安定性を失わない結晶構造を持つマンガン系材料「マンガンスピネル」を採用した。材料コストという観点から見ると、マンガンはコバルトと比較して格段に安いこともメリットになった。
このようにさまざまなポイントで改良を図られたわけだが、最も大きな改善点はエネルギー密度の向上だった。日産は、現在でも同社のLiイオン電池セルのエネルギー密度を公表していないが、専門家は140Wh/kg〜150Wh/kgではないかと推測している。これが事実であれば、1990年代末のEVと比べると、大きく進歩している。電池の研究開発を手掛けるカナダDHS Engineering社の創設者David Swan氏は、「150Wh/kgというエネルギー密度は非常に素晴らしい。1990年代には、こうした値はまさに夢のようなものだった」と述べている。
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